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基本情報
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住所 |
北海道余市郡仁木町尾根内344 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
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御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
伊邪那岐命 伊邪那美命 |
創建・建立 |
明治33年 |
旧社格 |
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由来 |
尾根内の加茂神社については、いろいろと解明しなければならない点がある。まず「仁木町史』(昭43)に寄せ野村稔の草稿には、「明治三十三年に鎮守の神として久保勘次郎の要請により郷里の鎮守の神である伊邪那岐命・伊邪那美命の二神体を分神され神社を建立された。嘉母神社と命名する」と記述されている。それが『仁木町史』では、「加茂神社」に訂正されている。どの資料を見ても「郷里から勧請した」と記載しているからには、「嘉母神社」の方が 自然であり納得のいく神社名と考えられるが、『大江村地史』(明44)の神社名は「加茂神社」と記され、祭神は「伊邪那岐命・伊邪那美命」の 二神とされている。由緒には「久保勘次郎私設ノ氏神ヲ以テ郷社ノ如ク 奉祠シ、毎年九月十五日祭典ヲ行フ」と記述されている。何故こうなっ たかは不明であるが、この時点で神社名は「加茂神社」と明記されているので、この資料を出典とすれば町史に記載されている「加茂神社」は間違いとはいえない。創建については祠を大正六年ころ余市から担いで もって来て建て、村として奉るようになったと言う(宮本勤治談)。 そこで、「嘉母」を呼称するものがあればいつ頃だったのか判明するのではないかと調査したとこ ろ、『道路認定表』(大8) に、「宮本由吉前橋」「宮本由吉側橋」とならんで 「嘉母神社橋」があった。 大正六年に祠を建て村で奉るようになったと言う話と、大正八年の橋名に「嘉母神社橋」があるということは、村で奉るために郷里の「嘉母神社」を、村の神社名にしたということも十分考えられる。それより前述の通り明治二十九年に勘次郎は禎瑞「嘉母神社」に楠の献木をしていることや、番付の前頭にランクされていることなどから考えても、氏子であったことは間違いない。すると、逆に何故『大江村地史」は「加茂神社」なのか疑問を感じる。その「嘉母神社橋」もいつなくなったか特定できないが、昭和十二年の『道路施行調査』の中には、「嘉母神社橋」の橋名は消えている。これは単に橋がなくなったためと思われるが、 「嘉母神社」と呼称していたのは大正時代であったことが判明する。 いずれにせよ、社名を使い分けるのも不便ということになり、昭和五十三年、「尾根内神社」と命名して法人登録の申請をし、同五十五年認可された神社の位置は以前から変わっていないが、当初は今と同じ高台に向かって左側にあったのを、一段下げたのが現在の位置となってい る。昔の神社の面積三町三反(一万坪)と言われている。 (新仁木町史より) |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ひろちゃん
【
最終
更新日時】2022/10/12 17:47:58
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