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基本情報
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住所 |
埼玉県熊谷市万吉692-2 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
秩父本線上熊谷 徒歩29分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
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創建・建立 |
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由来 |
境内碑
堂宇建立記念之碑
夫れ神佛を崇ひ祭祀を敦うするは我か建國の精神にして國運隆昌一家繁榮の基礎なり
此の郷に安置せらるゝ如意輪観世音は人皇百弐代後花園天皇の御宇永享十二年武藏武士の精鋭なる鎌倉管領上杉氏の部下一色伊豫守を始めにして村岡河原の合戦に於て戦歿したる勇士の英霊を弔ふため一寺を建立し如意輪寺と號したる事古書に明かなり
其の本尊観世音の尊像は天台の本山より勅請したる〇のみと傳ふ然るに今を去る凡そ百五十年の昔堂宇は廢れ其の尊像は不明に帰したり
されと常に里人に禍福吉凶を暗示し妙智の力を以て衆生を濟度し遂に不明○〇〇尊像を〇〇示現し給へ○と
茲に於て里人相謀り廣く浄財を募り金貳千有餘圓の巨○と壹千參百餘人の賦役を投して堂宇を再建したり其規模大ならすと雖も結構の整美せること近郷稀に見る處なり參詣する善男善女絶ゆる時なし
堂宇再建記念碑建設の議あり來りて余に文を乞ふ世俗やゝもすれは神佛崇敬の念薄らき我は國體の基礎を危うする慮なしとけす時に里人の此〇擧を〇よ方今の時運に際し國民の精神發揚上寄與するもの大なるを信し欣喜して其の意に従ひ此の文を草し以て後世に傳ふ
昭和五年四月廿三日 衆議院議員従四位勲三等秦豊助撰並書
境内掲示板
如意輪観音堂
境内にある御堂再建の石碑によれば、鎌倉時代・永享十二年(一四四〇)七月、鎌倉公方足利氏と関東管領の上杉氏が争った「村岡河原の戦い」で敗れた一色伊予守をはじめとする武蔵武士の勇士を弔うために、天台宗本山より勧進した『如意輪観世音』を本尊とした如意輪寺を建立したと伝えられている。
この御堂の再建は、村民からの弐千有余円の浄財弐千百余人の賦役によって再建されたものである。かつて、縁日には多くの参拝があり、団子も投げられ、盛大な祭典が行われたが、いつの頃からか途絶えてしまった。
御本尊である如意輪観世音は、江戸時代に不明になったと伝えられており、現在は同じく江戸時代の作と考えられる『聖観音菩薩立像』が安置されている。
境内には江戸時代・寛政十一年(一七九九)に建立された馬頭観音や坂東・西国・秩父百番巡礼供養塔、二十二夜塔の石碑などがあり、観音様として篤い信仰を受けていたことがうかがえる。
平成三十年三月
万吉地区文化遺産保存事業推進委員会 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
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更新情報 |
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最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/08/14 08:08:09
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