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基本情報
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住所 |
埼玉県加須市上高柳1437-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武伊勢崎線加須 徒歩11分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
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創建・建立 |
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由来 |
境内掲示板
大日堂
当堂は大日如来を本尊とし、左右に観音・勢至菩薩を奉安する。三尊とも丸彫りの石造で、台石には出羽三山の「湯殿山・羽黒山・月山」の銘が刻まれている。
当堂の由来は、大日如来を持仏とする空照山海が湯殿山に七度登山し、その持仏を当所に安置し、宝暦年間(一七五一~六四)には、信者の助力を得てこの三尊像を建立したという。また一説には、当地の行人杉田佐兵衛が、湯殿山から大日如来を勧請したともいう。
かつて境内には地蔵堂や愛染堂などの堂宇も配され、護摩修業の祈願霊場として賑わった。現在は主に上高柳地区の人々によって、毎年九月七日に祭礼が行われている。
なお、観音・勢至は阿弥陀如来の脇侍として随うのが通例で、当堂の三尊像が何に拠ったものか不詳である。ちなみに、湯殿は大日、羽黒は聖觀音、月山は阿弥陀が本来の姿とされる。
加須市教育委員会 |
神社・お寺情報 |
境内碑
寶憧紹隆之碑
古賢曰一塵成大嶽誠也哉是言北埼玉郡高柳村寶幢寺者暦皇政一
新之際境内上地以還將歸廢滅放是住職檀徒総代〇力蓄五年之〇
入剰募檀徒浄財以之玄明治廿九年修營本堂并庫裡住職寄附私有
地若干且積嘱世話人仝寺受持大日堂賽錢亦加仝寺〇仝購水田壹
反五畝余歩曁國有林若干以爲寺有財産慿焉仝寺永續方法確立斯
〇佛恩報謝功可謂至仍述〇曰 法獨不弘弘必依人寺自不興起之
〇信 大師河原 別格本山前平間寺中僧正隆健篆額
南埼玉郡菖蒲町吉祥院第〇七世浄尊撰文并書
明治三十八年五月八日
境内碑
掛樋記念碑
高柳村大字上高柳の水田は灌漑には新川用水を排水には青毛南堀同北堀を用ゐたり〇ので耕地の大部分は堀外に在るを以て古来南堀に二箇所北堀に一箇所の掛樋を架して用を新にたるも腐朽改造の煩を重ぬるに苦み明治十一年その改築に當り村長等耐久の方法を講じ各地を視察して伏樋の之に勝れるを認め茲に始めて大造伏樋成り通水極めて要綱なりしも爾来年を閲する事約五十年其の間縷々天災地異に逢ふ毎に修理を施したるも今や大破して彌縫を許さず仍て昭和三年七月柳下及船橋伏樋改築の議起り種々の点より考慮して寧ろ舊に復して掛樋と為すに如かざるを認むるに至れり時に上流地関係者等掛樋は増水時の水行に障害ありとなし極力之に反對して工を起す能はず折衝數次停頓久しきに亘り憂ふべき事態に陥りしが縣會議員出井兵吉同門井東一水深村長神田壽三郎當村長中島賢三等の諸氏熱誠調停に力め多年の懸案も茲に圓満解決を告げ縣費の補助を得て昭和三年四月竣功せり又北堀掛樋は上流禮羽村の同意を得て同六年四月竣功したり是を以て大字内三箇所の伏樋は悉く鉄筋混凝土を以て不朽の掛樋に改造せられ将来永く天費と労力とを除き得べき基礎成れり葢し其の効果また豊かなるもの有るべきを信じ刻して以て紀念と爲す
縣社玉敷神社々掌新槙榮助篆額并撰書 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/01/05 10:08:43
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