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基本情報
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住所 |
埼玉県比企郡滑川町和泉1681 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
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御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
真言宗智山派 |
創建・建立 |
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由来 |
境内碑
阿彌陀如來堂之碑
當山は八幡山無量壽院泉福寺と號し後鳥羽天皇の建久元年三月海傳法印の開基して眞言崇智山派に属し法燈を継ぐこと茲に七十八世本尊は三尊阿彌陀如來に在し清和天皇の貞觀六年入寂の慈覚大師の御作大正二年九月二十日國宝の指定を受く然るに堂宇は焼失すること数次現本堂は仁孝天皇の文政十二年三月の再建に係り歳月の経過に伴ひ損傷著しく檀信徒之を憂ひ復建を企図し文化庁及び埼玉縣竝に滑川村も亦協力支援を惜しまず神力を合わせ新に如來堂の落慶を見るに到れり庶希くは本尊阿彌陀如來檀信徒始め有縁無縁一切の衆生に佛果を授けられ永く此の地を鎮護せられんことを仍て落慶の始末を記し併て志納者の氏名を碑陰に録し以て後昆に傳ふと云ふ
昭和四十八年五月吉日 開祖弘法大師御誕生壹千貳百年記念
埼玉縣比企郡滑川村 八幡山無量壽院泉福寺第七十八世
権中僧都 中村義秀誌
新編武藏風土記稿
比企郡和泉村
泉福寺 新義眞言宗埼玉郡上ノ村一乘院末 八幡山無量院ト號ス 開山ノ事詳ナラス 僧覺盛中興ス 此人ハ寬文十一年正月二十日化ス 本尊彌陀 享保年中此像修造ノ時胸中ヨリ古書ヲ得タリ 其文ニ
中尊心札建長六年大歲五月七日甲寅執筆成永
奉修覆泉福寺隨身阿彌陀如來一體
同觀音勢至菩薩各々二體右志者爲父孝□安聖靈滅罪生害爰大施主等爲現世安穩後生淨土奉修覆如件
大旦那沙彌西願御芳像源氏所生君達
院主阿闍梨阿乘房
結主 十部入道
成津房五郞入道
二郞入道
ヨリテ左ノ文ヲ添シト云
奉再興 慈覺大師御作阿彌陀如來三尊
右天下泰平國土安穩萬民豐樂別而勸化諸衆寺且二世安樂如意滿足祈所
成田一乘院第十六世俊雅直弟法印俊尊奉再興焉
再興大佛師 佛光寺通室町 康竹
再興ノ僧俊尊ハ享保十八年化スト云 八幡社 境內ニアリ |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
泉福寺阿弥陀如来坐像
(大正二年八月二十日指定)
滑川町大字和泉
阿弥陀如来坐像は国指定重要文化財で、等身大、漆箔、割矧造りの木造仏である。享保年中にこの像を修理したとき、仏像の体内に墨書銘のあることが判明した。
墨書銘には、建長六(一二五四)年五月この仏像を修復したことが記されており、施主である沙弥西願と源氏に関わりの深い女性とその子孫が、現世安穏と後生浄土を願い、あわせ父母の霊を祈ったものである。
脇侍の観音・勢至両菩薩は、現在県指定文化財となっているが、墨書銘に両菩薩を修復したと記してあることから、本来は弥陀三尊として製作されたものである。
これらの仏像には平安時代の著名な仏師定朝の流技が各所に残っているが、多分に鎌倉様式が取り入れられているので、製作年代は鎌倉時代前期と考えられる。
平成三年三月敬白
滑川町観光協会
滑川町教育委員会
境内掲示板
国指定重要文化財 「阿弥陀如来坐像」 の拝観について
国指定重要文化財の阿弥陀如来坐像は、ヒノキの割矧造で像高は 84.3cm、像内に建長6年(1254)仏師定生房の墨書銘があります(修復銘とされる)。宇治の平等院鳳凰堂の本尊を作った仏師定朝の流れを汲む作風です。埼玉県指定文化財の両脇侍もヒノキの割矧造で勢至菩薩が像高105.6cm、観音菩薩は像高105.8cmとなっています。
問い合わせ先
滑川町教育委員会文化財保護担当 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/02/12 07:23:36
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