みんなの御朱印
三浦薬師如来霊場1番
(夢想老人さん) ![]() ![]() |
|
(TAKAさん)
![]() ![]() |
|
(sshimiさん)
![]() ![]() |
|
(SUPRAさん)
![]() ![]() |
|
(anidiruさん)
![]() ![]() |
|
(みうけんさん)
![]() ![]() |
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
![]() |
|
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
天安元年(八五七)になると、慈覚大師により中興され、法相宗から天台宗に改宗されました。
鎌倉時代の史書 『吾妻鏡』 では、建久三年(一一九二)八月九日、後に三代将軍となる実朝公の御誕生に際し、源頼朝公が夫人政子さまの安産祈願の為、當山を含めた二十七ヶ所の社寺に神馬を奉納された記録や、承元三年 (一二〇九)、実朝公が岩殿寺(坂東第ニ番)と併せて當山へ御参詣された記録など鎌倉幕府より篤い信仰を受けていた往時の様子を見ることが出来ます。
鎌倉幕府の滅亡や後の動乱期には度々罹災し、小田原北条氏より庇護されて復興もなされましたが、天正十八年(一五九〇)太閤秀吉公の小田原征伐の際にその余波をうけて山内の殆どが焼失し、次第に衰退していきました。
江戸時代となり、ようやく德川幕府より寺領寄進や保護が加えられましたが、天保五年(一八三四) 再び大火を蒙りました。その後、御歴代や檀信徒の協力により、伽藍の復興や境内の整備が行われ、現在に至ります。
また、明治二十八年から五回にわたり昭憲皇太后・大正天皇が御登山され、大正八年に貞明皇后の御参拝、昭和三年に昭和天皇・皇太后が三度にわたり植物や菌類研究の為に御来山されるなど、皇室からの行幸が続きました。
昭和・平成にかけて参道整備や薬師堂改修を行い、當山は逗子鎌倉でも希少となった山岳信仰の面影を残す寺院として、今日まで法灯を伝えています。
三浦二十一薬師・第1番札所
県指定重要文化財
・ 薬 師 堂 文禄三年
・ 大威徳明王画像 鎌倉時代
・ 千手観音画像 鎌倉時代
市指定重要文化財
・ 薬師三尊像 伝行基作
・ 不動明王像 室町時代
・ 緑釉唐草文瓶ほか 室町時代
市指定史跡・市指定天然記念物
・ みろくやぐら 鎌倉時代
・ 周辺岩隙植物群落 市指定天然記念物
県指定名木百選
・ なんじゃもんじゃ 樹齢四百年
(ホルトノキ)

【 最終 更新日時】2022/03/07 19:01:58