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★★★ 参拝日:2023年9月24日 12:50
【寺務所】 留守 日金山 東光寺にご住職が行っているとのこと。 こちらのお寺のすぐ脇で2021年(令和3年)7月3日熱海市伊豆山土石流災害があったところ。同じような被害が今後出ないことを願った。
★★★ 参拝日:2020年12月28日 00:00
直書き
★★★★ 参拝日:2020年12月28日 00:00
参拝日:2024年2月11日 10:54
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 静岡県熱海市伊豆山371-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 伊豆 |
アクセス | 東海道新幹線熱海 徒歩12分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0557-80-5376 |
FAX番号 | 0557-80-1148 |
公式サイトURL | https://izu88.net/izu88/izu88-24/ |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 高野山真言宗 |
創建・建立 | 承和3年(836年) |
由来 | 伊豆山神社の別当寺であった走湯山東明寺が全身です。 徳川家の厚い崇敬を受け、寺号を改めた際も徳川家康によって命名されたと云われています。
大師堂には、弘法大師自ら刻んだとされる等身大の大師像が安置されています。 また、境内には足湯があります。 真言宗の古刹で、山号は「走湯山(そうとうさん)」。その始まりは、僧の賢安が観音堂を創建した836年(承和3年)と伝えられ、真言宗伊豆派(当時)の本山として関東一円に大きな勢力を誇りました。鎌倉時代は密厳院と呼ばれ、源頼朝はこの場所で平家討伐の願をかけ、別当を務めていた覚淵に師事。一時はここで妻の政子と暮らしたともいわれています。 しかし1590年(天正18年)、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めた際、走湯権現(伊豆山神社)は北条側に加わったため加藤清正によって焼き打ちされ、3000人の僧兵や住民が命を落としたといわれています。その後、徳川家康が高野山から快運という僧を招いて別当職に任命し、「走湯山般若院」の称号を与えて復興。これにより、江戸時代には12の僧坊と7つの修験坊を有するほどの繁栄をみせました。 走湯権現の境内(現在の伊豆山小学校のあたり)にあった般若院ですが、1868年(明治元年)の神仏分離令により現在の場所に分離されました。本堂の向かい側には弘法大師(空海)の像が立ち、境内奥の大師堂には弘法大師自ら刻んだといわれる「大師像」(重要文化財)が安置されています。また、本堂に安置されている「走湯権現立像」(重要文化財)は鎌倉時代の作とされ、立烏帽子をかぶって袈裟を着た姿で神仏習合のさまを表す珍しい彫像として知られます。 |
神社・お寺情報 | 札所:伊豆88遍路・第24番
御詠歌:流れ水 くめばこころの般若院 走り湯山に岩の羽衣 御本尊真言:おん あみりた ていぜい から うん 明治元年(1868年)までは伊豆山神社の境内にありましたが、神仏離令により取り壊されて現在の地へ移されました。 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】優雅 【 最終 更新日時】2023/10/04 01:17:12 |