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基本情報
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住所 |
京都府京丹後市峰山町字橋木873 |
五畿八道 令制国 |
山陰道 丹後 |
アクセス |
京都丹後鉄道宮豊線峰山 徒歩46分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0772620957 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
千手観音菩薩 |
宗派 |
高野山真言宗 |
創建・建立 |
伝・養老元年(717年) |
由来 |
發信貴山縁城寺は養老元年(717)善無畏三蔵開基の奥丹後古刹。当山縁起に、「養老元(717)年、印度の高僧善無畏三蔵来朝し、紫雲の霊瑞を尋ねて当山に来たり。 梵釈二天が護持せる千手観音木像を授かり、その由来を記して尊像の天衣に結びて帰唐され給う」と伝える。 その後、光仁天皇の叡聞に達し、宝亀二(771)年、堂宇を建立し、「千手院」と名付け勅願寺となし給う。 更に、桓武天皇は、延暦十四(795)年「縁城寺」の寺号勅額を給う。 弘法大師は、若き日、当寺に善無畏三蔵の「天衣記」あるを聞きご来錫、これを披見し、「發信貴山」と山号額を自ら書き残し給う。 その後村上天皇の勅諫を受け一時衰微したが、一条天皇の帰依篤く再び勅願寺として永延二(988)年再興された。 爾来、奥丹後地方庶民の信仰の中心として、仁王門より金堂までの三百メートル余には七ケ院二十五坊谷に満ち香煙絶えることなく、奥丹後随一の祈祷の名刹として賑わいを見せた。 三度諸堂灰燼に帰するほどの大火に遭いながらも、そのつど再興されている。 しかし、明治四(1871)年、廃藩置県にともなう施入荘園の召し上げと、世間の廃仏毀釈の風潮により漸次衰運に向かった。昭和二(1927)年、丹後大震災により勅使門、仁王門、庫裡の全壊、昭和三十八(1963)年の豪雪による多宝塔上層部の倒壊等を経て現在にいたり、往時の伽藍の復興を望まれる情況である。 境内地には椎等、いにしえの巨木が連なり、皆様をお迎えします。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
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最終
更新者】さくら
【
最終
更新日時】2022/08/28 16:41:06
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