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★★★ 参拝日:2022年10月26日 12:23
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住所 | 京都府京都市右京区花園妙心寺町35 |
五畿八道 令制国 |
畿内 山城 |
アクセス | JR山陰本線花園 徒歩4分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0754632855 |
FAX番号 | 0754632575 |
公式サイトURL | www.taizoin.com/ |
御本尊 | 観世音菩薩 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建・建立 | 応永11年(1404年) |
由来 | [ 退蔵院の歴史 ] 今から 600 年ほど前、応永十一年( 1404 )、室町時代の応永年間に当時の京洛に居を構えた波多野出雲守重通が高徳のきこえ高い妙心寺第 3 世をつとめる無因宗因禅師への深い帰依によって、無因宗因禅師を開山として建立されました。これが退蔵院のはじまりです。 そのころ妙心寺は足利義満の弾圧で名を竜雲寺と変えられ、 関山一派の人々も祖塔を去る悲運に見舞われました。無因宗因禅師は高徳を惜しまれて大徳寺へとの誘いがありましたが、固く辞して西宮の海清寺に隠棲し、ついに時の有力者たちに終生近寄ることがありませんでした。 退蔵院は応仁の乱で妙心寺とともに炎上しましたが、中興の祖亀年禅愉は、 1597 年に退蔵院を再建した。また後奈良天皇の帰依深く、照天祖鑑の国師号を賜った。現在山内寺院 40 余寺中、屈指の古刹である。 [ 退蔵院の名前の由来 ] 「退蔵」という言葉には、「価値あるものをしまっておく」という意味があるように、陰徳(人に知られないようにして良い行いをする)を積み重ね、それを前面に打ち出すのではなく、内に秘めながら布教していくということを示しています。 ― パンフレット「京都・花園 退蔵院」及び HP 「臨済宗大本山 妙心寺 退蔵院」より ― |
神社・お寺情報 | ● 文化財(寺宝) ・紙本墨画淡彩瓢鮎図(国宝) ・方丈(重文) ・花園天皇宸翰消息(重文) ・後奈良天皇宸翰消息(重文) ・後奈良天皇宸翰徽号勅書(重文) その他 多数 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】ゆっ 【 最終 更新日時】2019/07/18 09:20:41 |