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基本情報
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住所 |
京都府京都市北区紫野雲林院町23 |
五畿八道 令制国 |
畿内 山城 |
アクセス |
京都市烏丸線北大路 徒歩13分 |
御朱印授与時間 |
6:30~17:00
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電話番号 |
0754311561 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
十一面千手観世音菩薩 |
宗派 |
臨済宗大徳寺派 |
創建・建立 |
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由来 |
雲林院(うんりんいん・うりんいん)は平安時代前期に第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう)の離宮・紫野院(むらさきのいん)があった場所でした。その後第54代・仁明天皇(にんみょうてんのう)の離宮になり、仁明天皇の第7皇子・常康親王(つねやすしんのう)に譲られました。869年(貞観11年)に常康親王が亡くなると僧正遍昭(そうじょうへんじょう)に託されて官寺・雲林院になり、884年(元慶8年)に僧正遍昭は天台宗(てんだいしゅう)の元慶寺(がんけいじ)の別院とし、鎌倉時代まで天台宗の官寺として栄え、菩提講(ぼだいこう)・桜・紅葉が知られていました。その後鎌倉時代に荒廃し、鎌倉時代後期の1324年(正中元年)に復興されて臨済宗(りんざいしゅう)大徳寺派の大本山・大徳寺(だいとくじ)の塔頭(たちゅう)になり、天台宗から臨済宗に改められました。その後室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年)の兵火で焼失して廃絶しました。江戸時代中期の1707年(宝永4年)に大徳寺291世・江西宗寛(こうざいそうかん)が再興し、かつての寺名を踏襲しました。 雲林院は臨済宗大徳寺の境外塔頭です。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】さくら
【
最終
更新日時】2022/02/16 16:04:03
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