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★★★★★ 参拝日:2018年2月25日 00:00
参拝日:2022年11月20日 17:59
参拝日:2020年11月30日 17:11
参拝日:2020年10月24日 11:47
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住所 | 大阪府大阪市平野区平野本町3-4-23 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
アクセス | 大阪谷町線平野 徒歩7分 |
御朱印授与時間 | 山門が開いている間 |
電話番号 | 0667914416 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.eonet.ne.jp/~chohouji/ |
御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
宗派 | 高野山真言宗 |
創建・建立 | 大同年中(806年)桓武天皇妃坂上春子姫(慈心大姉)開山 |
由来 | 当寺開基の慈心大姉は、坂上田村麿の娘で俗名を春子といい、もと桓武天皇の妃であった。延暦25年(806年)桓武天皇崩御によって、春子は弘法大師に帰依して剃髪し、父 坂上田村麿が大同年中(806年~810年)に創建した長寶寺の開基となったのである。縁記によると、当寺の本尊・十一面観音像は田村麿の守護仏で春日作と伝わる。 のちに後醍醐天皇が、吉野に皇居を移されるとき、当寺を仮の皇居とされ「王舎山」の山号を賜った。また元亨年中(1321年~1324年)、笠置城落城のとき61人が討死し、その妻女たちが当寺にて出家したという。のちに広い堂宇も元弘の乱、建武元和の兵火にあい、ことごとく焼失した。『平野郷町誌』によると、現在の本堂と庫裡は、天保年間(1830年~1844年)第33代慈源大姉の代の再建という。 『よみがえりの草紙』によると、永享11年(1439年)6月6日、慶心比丘尼が頓死した。閻魔大王は修行を怠ると陥る地獄の恐ろしさを世の人びとに見せるため、大王の証判を慶心に持たせ、3日後に蘇らせた。毎年5月18日の閻魔大王のご開扉に実判が額に授与される法印授与は大阪市有形、無形民俗文化財に指定。仏像、掛け軸、曼荼羅図なども大阪市文化財に指定されている。 慶心がこの奇瑞を書いたものが『よみかえりの草紙』で、『逆修講縁起』とともに寺宝となっている。また「仏涅槃図」「銅鐘」も重要文化財で、開基慈心大姉の霊牌、弘法大師筆などの寺宝もある。 (摂津国八十八所巡礼HPより) |
神社・お寺情報 | 御詠歌 かりのよは さもあらばあれ ゆくすえの ながきたからの てらにもうでん 摂津国八十八所巡礼 第38番 摂津国三十三ヶ所霊場 第31番札所 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | |
更新情報 | 【
最終
更新者】ポチョムキン 【 最終 更新日時】2022/05/06 13:32:08 |