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参拝日:2025年4月26日 18:26
参拝日:2025年3月27日 16:01
★★★ 参拝日:2023年8月6日 16:18
🈶御朱印あります。庫裏でいただけます。 境内で母子がプールで遊んでおり、その若奥さんに声を掛けたところ、御朱印帳を庫裏に持って入り、お母さんらしき女性が持ってきてくれました。どなたが書いてくださったかはわかりませんが達筆で美しい御朱印です。 一緒に摂津國八十八所巡礼のパンフレットもくれました。プールで遊ぶ子供たちも元気で愛嬌のある子供たちで微笑ましかったです。 本堂は急な階段の上にあり、扉が閉まり賽銭箱も無かったので、🙏のみさせていただきました。道路を挟んだ迎えに皇大神社があり、その左横に、お寺の参拝者用の無料🅿️があります。
参拝日:2021年4月8日 14:40
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 兵庫県尼崎市常光寺3-5-1 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
アクセス | JR福知山線尼崎 徒歩11分 |
御朱印授与時間 | 午前9時~午後5時 |
電話番号 | 0664813697 |
FAX番号 | 0664887516 |
公式サイトURL | https://joukouji.or.jp/ |
御本尊 | 聖観世音菩薩 |
宗派 | 真言宗(単立) |
創建・建立 | 天長6年(828年)弘法大師開山 |
由来 | その昔、恵満という僧が、観音の功徳により海中から光を放つ金像を感得し、持ち帰って小さなお社を作りお祀りしていた。しかし、恵満の死後はお祀りする者がいないまま数10年間放置されていた。そののち天長6年(829年)の秋、諸国巡錫の折にこの地に立ち寄られた弘法大師が寺を建立し、恵満が感得した金像をご本尊にお祀りして補陀洛山淨光寺と名付けた。これが当寺の草創と伝わっている。往時は七堂伽藍を備えた大きな寺で、その名は広く知れ渡り、人々の精神修養の場となっていた。 ところが天正7年(1579年)、摂津国伊丹の城主・荒木村重の乱の折、堂塔すべて灰燼に帰した。また、のちの豊臣秀吉の太閤検地によって寺領を没収されたが、寺名がそのまま地名となった。当寺は再び小さなお社を建ててご本尊をお祀りしたが、その際に寺名を慈眼院と改めた。沙門慶海が住持であった慶長年間(1596年~1615年)には三度もの不運が続き、ご本尊を伝法の浦に移したが、その後行方知れずとなっていた。 淨光寺の衰退を嘆いた京都智積院の僧・性海はご本尊を探し出し、郡山城の柳沢家によって寄進建立された本堂に安置した。以来ご本尊の安住の寺となった。 昭和に入って寺号を旧名の淨光寺に戻し別格本山に昇格した。昭和48年(1973年)、弘法大師ご誕生1200年にあたり本堂を新築し、現在に至っている。 (摂津国八十八所巡礼HPより) |
神社・お寺情報 | ●御朱印 現在は摂津国八十八所霊場の御朱印のみになります。 摂津国八十八所霊場は、江戸時代中期(安永年間・1772年 – 1781年)に月海上人により開かれたと伝わっています。廃仏毀釈や戦中戦後の荒廃にも見舞われ一時衰退していましたが、昭和55年(1980年)に霊場再興が成し遂げられました。 ◎ 納経受付時間 : 午前9時~午後5時 ◎ 納 経 料 : 納経帳 300円、御軸 500円、笈摺(おいずる) 200円 ※ 当山では納経帳は頒布しておりません。摂津国八十八所霊場専用納経帳以外でも納経していただくことは可能です。 詳しくは下記の摂津国八十八所霊場会公式サイトをご覧ください。 ●御詠歌 笛の音も 松ふく風も 琴ひくも 歌うも舞ふも 法(のり)のこゑごゑ ●摂津国八十八所霊場 第六十四番札所 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】ととるし 【 最終 更新日時】2025/08/19 11:19:35 |