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★★★★ 参拝日:2024年2月6日 14:48
参拝日:2022年7月8日 09:50
写経を納めさせていただきました
★★★ 参拝日:2022年5月3日 10:23
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住所 | 兵庫県神戸市長田区海運町4-1-1 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
アクセス | JR神戸線鷹取 徒歩4分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0787313174 |
FAX番号 | 0787316108 |
公式サイトURL | https://manpukuji-nagata.com/ |
御本尊 | 薬師如来
聖観世音 |
宗派 | 曹洞宗 |
創建・建立 | 伝天文5年(1536年) |
由来 | 當寺は天文五年の創建といふも開基詳かならず、元と真言宗の寺院なりしに、或は兵火にかかり幾多の変遷を経て、後ち明治五年に及び、兵庫福昌寺の住職能忍柏厳種々盡力する所ありて、遂に其末寺となり曹洞宗に改む。中興里見實道なるもの荒蕪を拓き、本堂の建築を為す、仍て寺地として漸く明治十六年に許可せられしとぞ、然るに境内の淡島堂なるものは、此所に久しき以前より称へ祀りて淡島明神と奉りて、少彦名尊、大己貴尊、月読尊、息長姫尊を仏名に配し之を両部にて祀り来りしといふ、今尚ほ淡島講とて、本堂本尊よりも此鎮守の方却つて参詣者多しとの事。
往昔より此村に長福、正福、満福の三寺ありて何れも大手村なる福勝寺の塔頭なりしと傳ふ、正福寺はタンクの附近長福寺は今の満福寺の南約二町の所に在り、維新後遂に二寺は廃亡し、満福寺に本尊を移し、今は當寺に於て二寺の法会を営む。 (西摂大鑑より抜粋) 平清盛の創建と伝えられているが明らかでなく、寺期に1536(天文5)年に建てられたとある。 山号は過去には「医王山」と称したことがあった(山門には今もなおその額が掲げられている)が現在では海運山となっている。 寺を囲む外壁は1928(昭和3)年に木曽川より運んだ自然石で築かれ、その形が亀の甲に似ているところから市民に「亀のこ寺」と呼ばれている。 かつては真言宗の寺院であったが1873(明治5)年に八王寺の末寺となり、曹洞宗に改宗。 往年にはこの寺の付近は野田村と呼ばれ、村内には「正福寺」「長福寺」「満福寺」の三福寺が存在。 1875(明治7)年に満福寺を除く他の二ヶ寺が廃仏毀釈で廃寺となり、各本尊を当寺に移す。 境内には、1992(平成3)年に設立された身の丈3mの観音像が奉安されている。さらに三福橋を渡って十二支像、その前元は正福寺にあったという自然石の仏足石(釈迦の足裏の形をした石で仏を象徴したもの)と両面地蔵尊が祀られている。 両面地蔵は駒ヶ林の海から来られたという非常に珍しい由来を持っている。海の方に向かって拝めば、縁を結び願いを叶えて諸の吉縁を結んで頂き、山の方に向かって拝めば、縁切りを成就して総ての悪災・悪縁を切って頂く地蔵菩薩である。 満福寺の本尊である千手千眼観音像は、海運山正福寺にあったものであるが、1945(昭和20)年3月に戦火によって焼失。現在は聖観世音像がまつられていて、今もこの二ヶ寺の法会も併せ営んでいる。 |
神社・お寺情報 | 福原西国観音霊場第五番
山号は以前は「醫王山」だが、現在は廃絶し満福寺に本尊を移した正福寺の山号である「海運山」となっている。 現在の住職は2020(令和2)年7月1日に奈良県奥吉野南朝終焉御所南帝山瀧川寺から転住された方。 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 立ち葵 |
更新情報 | 【
最終
更新者】管理者 【 最終 更新日時】2022/11/17 12:01:21 |