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★★★★ 参拝日:2017年10月10日 00:00
★★★★ 参拝日:2017年8月5日 00:00
お寺とは御朱印帳別けて下さい。
★★★★ 参拝日:2020年7月27日 20:42
★★★ 参拝日:2019年3月9日 14:34
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 埼玉県蕨市中央4-20-9 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | JR京浜東北線蕨 徒歩10分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 048-431-2549 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.warabi.ne.jp/~jinja/ |
御祭神 | 誉田別命 |
創建・建立 | |
旧社格 | 村社 |
由来 | 当社の創建は明らかではないが、社伝によれば、室町時代に蕨を所領とした足利将軍家の一族、渋川氏が蕨城を築き、その守り神として八幡大神を奉斎したのがはじまりであるという。ところで、「渋川直頼譲状写」(加上家文書)には、観応3年(1352)渋川直頼から嫡子金王丸に譲られた所領の内に「武蔵国蕨郷上下」が記載されている。また、「鎌倉大草紙」には、長禄元年(1457)渋川義鏡は、曽祖父義行が蕨を居城としていた関係で、室町幕府から関東下向を命じられたとある。さらに、当社の旧御神体「僧形八幡立像」には、天正11年(1583)の墨書銘があり、創建の年代をうかがい知ることができる。江戸時代には「蕨八幡」、「上の宮」と呼ばれ、「中の宮」(氷川社)、「下の宮」(氷川社)と共に蕨宿三鎮守として、重きをなした。三学院末成就院が別当として祭祀を掌った。 明治6年村社に列し、明治44年(1911)12月15日町内の18社を合祀して「和樂備神社」と改称する。岡田健次郎町長の草案をもとに東宮侍講文学博士本居豊頴先生が命名したという。また、合祀に伴い埼玉県菖蒲町出身の林学博士本多静六先生に設計を依頼し、境内整備が行われ、大正の末に現在の風致の原形が完成する。
境内碑 和樂備神社社誌 御祭神 誉田别尊即ち八幡大神他十柱を祀る 例祭日 十月十五日 御由緒 当社の創立は古く 蕨城主渋川公が八幡大神を勧請したものと伝えられ 天正十年作の僧形八幡の御神像あり 江戸時代には蕨八幡と称し 成就院々主を別当となす 明治六年四月 村社八幡社となり 国の管理を受く 明治四十四年 左記十八社を村社八幡社に合祀 社号を和樂備神社と改む 宮田氷川社 同浅間社 同神明社 同天神社 同御守殿社 同天神社 金山稲荷社 同天神社 荒井前氷川社 同天神社 仁中步稲荷社 同日枝社 鍛冶作春日社 同道祖神社 同神明社 赤田稲荷社 前谷御嶽社 丁張稲荷社 この内稲荷四社天神四社を各々合祭して末社となす 大正十一年 境内の放張整備工事と共に社務所を新築す 大正十三年 神饌幣帛料供進指定神社となる 昭和二十一年二月 宗教法人令による届出をなし 国の管理をはなれる 昭和二十五年三月 国有神社境内地一一二八坪無償讓與を受く 昭和二十八年五月 神社規則を定めて宗教法人の登記を完了す 昭和三十一年一月 神社所有不動產の承継登記を完了す 昭和三十二年一月 顯神学校の旧校舍を移築して神社会館を建設す 昭和三十九年十一月 合祀五十五年祭記念事業の本殿移転改築工事並び拝殿幣殿新築工事竣工す 平成九年十月 本殿並びに拜殿幣殿の改築工事を竣工す 平成二十六年七月 合祀百周年記念事業平成の参集殿等新築工事を竣工す |
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幟立て 天保二辛卯二月初午(1831) 常夜燈 享和二壬戌星三月十二日(1802) 御神燈 萬延二辛酉正月(1860) 境内掲示板 和楽備神社水盤 和楽備神社境内の水屋にすえられている安山岩製の大形の水盤で、寛永寺旧在ともいわれている。 四隅を入隅式とし、水穴(現在は埋められて浅くなっている)も外形に合わせて成形しており、その縁に三段の段形を設けている。現正面下部は花頭曲線をえがいて加工し、他の三面下部は繰形を入れて、全体を四脚としている。現背面に四行にわたって銘文が陰刻されていたが、二次的に削られており、一部が判読されるに過ぎない。 この水盤の特徴は、非常に大形で四隅を入隅式とするところにあり、大形水盤は江戸時代初期にほぼ限られ、大名家墓所や格式のある社寺にみられる程度で、しかも入隅式の作例は、徳川家縁の場合が多いようである。 造立の時期は、様式手法などから江戸時代初期と考えられ、同時代の石造遺物として貴重な作例であると思われる。 昭和六十一年三月 蕨市教育委員会 境内掲示板 本多静六博士ゆかりの松 日本の「公園の父」と称される本多静六博士は日比谷公園や明治神宮の杜をつくつた林学者です。 大正三年四月五日、境内整備を進める岡田健次郎町長は親交の深い博士を招き境内の植栽について指導を受けました。 博士は境内の周囲にサクラとケヤキを交互に配し、参道に沿って左右に十五本ずつ合計三十本のクロマツを植樹するよう指示し、 図面を描きました。 この時植えたクロマツやケヤキが現在も数本残り往時の景色を伝えています |
例祭日 | 10月15日 境内掲示板 和樂備神社歲時記年間祭事と行事 一月一日 歲旦祭 二月三日 節分祭 二月十七日 祈年祭 三月初午 境內稲荷社初午祭 六月三十日 大祓 八月機祭り期間中の土曜日 七夕短冊まつり 十月体育の日の前土曜日 氏子町内神酒所祓 十月体育の日の前日曜日 氏子町内神輿渡御 十月十五日 例祭 十一月廿三日 新嘗祭 十二月十七日 おかめ市 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】SFUKU 【 最終 更新日時】2025/02/21 19:05:30 |