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基本情報
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【配祀神】 造化三神(ぞうかさんしん) (天之御中主神 アメノミナカヌシノカミ・高御産巣日神 タカミムスヒノカミ・神産巣日神 カミムスヒノカミ) 天照大神 (あまてらすおおかみ)
三峯神社御由緒
当社は今から1900年余の昔、日本武尊が東国の平安を祈り、伊弉諾尊・伊弉册尊、二神をお祀りしたのが始まりです。
尊の道案内をした山犬(狼)が、お使いの神です。
三峯の名は神社の東南にそびえる雲取、白岩、妙法の三山が美しく連なることから、三峯宮と称されたことに因ります。
奈良時代、修験道の開祖役小角が登山修行したと伝え、天平8年(736年)国々に疫病が流行した折、聖武天皇は当社に葛城連好久を使わして祈願され、大明神の神号を奉られました。
平安時代には僧空海が登山、三峯宮の傍らに十一面観音像を奉祀して天下泰平を祈り、依頼僧侶の奉仕するところとなりました。
鎌倉時代、畠山重忠が祈願成就の御礼として10里四方の土地を寄進しました。
また戦国時代には月観道満が諸国を勧進して天文2年(1533年)に社殿を再建し、中興の祖と仰がれています。
江戸時代、関東郡代伊奈半十郎検地の折、3里四方を境内地として除地され、寛文元年(1661年)現在の本殿が造営されました。
享保年間(1716~1736年)には日光法印が社頭の復興に尽くし、御眷属信仰を広めて繁栄の基礎を固めました。
寛政4年(1792年)に随身門(仁王門)、同12年(1800年)には拝殿が建立され、幕末まで聖護院天台派修験、関東の総本山として重きをなし、幕府から10万石の格式を持って遇されました。
明治維新の神仏分離により社僧を罷め仏寺を閉じ神社のみとなりました。
明治6年(1873年)郷社、同16年(1883年)県社に列せられ、戦後官制廃止により宗教法人三峯神社として現在に至っています。
○博物館や大和武尊の像、展望台等見所が多く有ります。
【御朱印】三峯神社で3種類、奥宮1種類
初穂料:通常版300円、狼の添え印入(書置き)500円、菖蒲の添え印入(書置き)500円
末社は遠宮(眷属、狼)、祖霊社、国常立神社、日本武尊神社、伊勢神宮、月読宮、猿田彦神社、塞神社(穂高神社道祖神)、鎮火神社(軻遇突智神)、厳島神社、杵築神社、琴平神社、屋船神社(家内安全の神)、稲荷神社、浅間神社、管原神社、諏訪神社、金鑚神社、安房神社、御井神社、祓戸神社、東照宮、春日神社、八幡宮、秩父神社、大山祇神社など26社あり巡礼する場合小銭27枚あると良い。

【 最終 更新日時】2022/01/05 15:01:18