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基本情報
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住所 |
埼玉県美里町大字猪俣2145 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR八高線用土 徒歩21分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0495-76-3040 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御祭神 |
伊邪那岐命、伊邪那美命 |
創建・建立 |
年代不詳(室町時代以前)。 |
旧社格 |
旧村社 |
由来 |
当社の鎮座する美里町猪俣は、武蔵七党猪俣党の本拠地であり、創建年代は不詳ですが、当社はもともとは聖天社と称し、猪俣氏代々の崇敬した社と伝えられています。
猪俣地内には、猪俣小平六の館跡(平安時代)や、その子孫が築いた山城の猪俣城跡(室町時代)があり、猪俣党にかかわる旧跡が多くあります。
猪俣党は、横山党の祖である武蔵介小野義隆の弟横山時資をその祖とし、那賀郡・榛沢郡に勢力を広げたとされ、とりわけ、猪俣小平六範綱は源頼朝に従って、一ノ谷の合戦(1184年)で平盛俊を討ったことで名高いとあります。
一の鳥居の先に正円寺(当社の別当)があり、更にその先に当社・二柱神社が鎮座します。寺社の前を流れる正円寺川は、猪俣小平六館の水堀の役割を成していたそうです。
正円寺境内入り口に猪俣邦憲が聖天社に奉納したという2つの鰐口についての説明板が設置されています。
丘陵地帯に立つ社殿は背後の小山の鎮守の森と一体化していて、南西の方角にはゴルフ場の穏やかで緑の起伏が目に留まります。
境内掲示板
二柱神社 御由緒
美里町猪俣二一四五
□御縁起(歴史)
猪俣は、武蔵七党の一つである猪俣党の本拠地であったことで知られる。猪俣党は、横山党の祖である武蔵介小野義隆の弟横山時資をその祖とし、那賀郡・榛沢郡に勢力を広げたとされ、とりわけ、猪俣小平六は保元の乱(一一五六)や平治の乱(一一五九)では源義朝に従って武功を上げ、のち源頼朝に従って一ノ谷の合戦(一一八四)で平盛俊を討ったことで名高い。地内には、この小平六の居館と伝えられる平安時代の館跡や、室町時代にその子孫が築いた山城の猪借俣城などがあるほか、猪俣党にかかわる旧跡が多い。
『児玉郡誌』によれば、当社は、古老の口碑に猪俣氏が代々崇敬した社であると伝え、永禄六年(一五六三)天正十六年(一五八八)の二口の鰐口が伝来するという。しかし、永禄六年の鰐口は江戶時代に別当であった正円寺に現存するが、天正十六年の鰐目は現存せず、代わりに当社に元禄十五年(一七〇二)の鰐口及び寛政三年(一七九一)の棟札が現存する。また、当社は江戶時代の『風土記稿』猪俣村の項に「聖天社二宇村の鎮守なり、正円寺の持云々」とあるように、元来は聖天社と称したが、神仏分離後に二柱神社と社号を改めた。
御神前に野菜(二又大根)が供えられる事がある。これは江戸時代、聖天信仰が盛んに行なわれた事で、聖天様は二又大根が大好物であることに由来する。当二柱神社も聖天様として沢山の参拝者があったと言われている。 |
神社・お寺情報 |
神紋は二本の二股大根を交差させた形のもので、氏子の間では、秋になると収穫した二股大根を当社の神前に供えるのが習いとなっているそうです。 |
例祭日 |
4月15日 |
神紋・寺紋 |
二股大根
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2025/01/13 11:36:16
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