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基本情報
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住所 |
埼玉県深谷市岡3354 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線岡部 徒歩15分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
瓊々杵尊・木之花咲夜姫命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧郷社 |
由来 |
境内掲示板
島護産泰神社
当社の創立年代は明らかでないが、旧榛沢郡内の開拓が、当社の加護により進められた為、郡内の各村の信仰が厚くなり、総鎮守といわれるようになったと伝えられている。この為に当社の再建及び修築等は、郡内各村からの寄付によりなされた。祭神は瓊々杵尊・木之花咲夜姫命という。
当社を島護("とうご"等とも読まれている)と称するのは、この地方が利根川のしばしばの氾濫により、ことに現在の深谷市北部に位置する南西島、北西島、大塚島、内ヶ島、高島、矢島、血洗島、伊勢島、横瀬、中瀬の地名をもつ地域(四瀬八島)は、常に被害を受けたため、当社をこれらの守護神として信仰したことによると伝えられている。
また、当社は、安産の神として遠近より、信仰者の参拝が多く、この際には、底の抜けた柄杓を奉納することでも有名である。四月一〇日の春祭には、里神楽が奉納される。
平成三年三月
埼玉県
岡部町
境内碑
御本殿外宇幣殿拝殿屋根葺替回廊大改修築記念碑
島護産泰神社御由緒は別に昇格記念碑並に水舎神楽殿改築記念碑其他諸々の記録で明らかであるが尚一部由来を記す
当社は北武蔵有蹟の社で 景行天皇御宇日本武尊により祭祀され 桓武天皇延暦年間坂上田村麻呂将軍祈願参拝された古い社である旧榛沢群総鎮守でありながら延喜式内神名帳にも登載漏れなり 伝うるに当時榛沢群全域に一社もないのは 正に調査もれによるものであって納得ゆかず古来の神異神話神助古文書に存在しておる
産泰講並に底抜柄杓奉納起因の儀も建武年間以前既に奉納の実あり其の意は 御祭神の御神徳古事歴により当社に安産祈願せば不思議にも難みなく毎年数千本の柄杓の奉納ありこれが文久辛酉年 仁孝天皇皇女和宮殿下将軍徳川家茂公に御降下遊さるゝにあたり当社前を御通過あらせらるゝや殿下には畏くも鳥居前社標榛沢群総鎮守安産守護神とある文字を御覧遊され卒然御籠を停め御翠簾をあげさせられ容を正し祭神木之花咲夜姫命を遙拝あらせたと言う
また社殿は往古より有形的の建物あり種々変遷し慶安年間焼失以後数度建改築したも極く最近嘉永安政に亘り 更に改築現今に至り然るに百二十有余年の建物で破損夥しく今回 氏子総意協議誠敬致福の精神頗旺盛で改修築委員を組織氏子内工匠全員奉仕約八百万円工事費で竣工の運びとなり是が趣旨石碑に刻し後世に伝えんとす
昭和五十六年四月十日
岡部町文化財専門委員 森田守之選書 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
4月1日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】重複表現を修正しました。
【
最終
更新日時】2024/08/25 13:12:23
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