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基本情報
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住所 |
埼玉県さいたま市西区飯田新田367 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR川越線指扇 徒歩43分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-624-9742 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
誉田別命 倉稲魂命 徳川家康 |
創建・建立 |
不詳 |
旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
八幡神社御由緒
さいたま市西区飯田新田三六七
▢御縁起(歴史)
飯田新田は、飯田村の人々によって開発された水田地帯で、地内の薬師堂墓地に寛永年間(一六二四~四四) の墓石があることから、このころには既に集落があったようである。
『風土記稿』によると、天正年中(一五七三~九二)徳川家康が岩槻へ向かう途中、当地に差しかかり、一株の老松の堂々とした姿に目を留め、指を差して賞美した。以後、この老松は「御指差松」と呼ばれ、後年この旧跡に創建された真言宗西光院は、家康公ゆかりの老松にちなんで境内に東照宮を祀った。この時、相殿として祀ったのが当社であるという。恐らく、当地の開発以後に創建された西光院は、親村の飯田村の鎮守である氷川八幡合社から八幡社の分霊を新田の鎮守として勧請し、東照宮の相殿に祀ることによって、その神威を高めたのであろう。
その後、両社は、いつのころからか各々独立して祀られるようになり、神仏分離を経て、当社は明治六年に村社となり、同四十一年には分かれていた東照宮を合祀した。
現本殿は、大正二年に植田谷本村(現さいたま市西区植田谷本) の足立神社から譲り受けたもので、この事に当たっては氏子の栗原金之助が中心となり話をまとめ、ころに載せた本殿を氏子が力を合わせて引いて来たという。ちなみに、栗原金之助は、宮司石井敬三の外祖父である。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】たくちゃん
【
最終
更新日時】2021/03/29 16:15:04
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