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基本情報
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住所 |
埼玉県さいたま市中央区本町東6-7-30 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR埼京線北与野 徒歩13分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-853-0200一山神社 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
建速須佐之男命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
氷川神社御由緒
さいたま市中央区本町東六丁目一〇九番地
▢御縁起(歴史)
当社は、元は鎌倉街道であった与野本町通りの北端に、ケヤキなどの大木に囲まれて鎮座する。社地が鳥居から本殿に向かって扇子を開いたような形をしていることから、古来「扇の宮」と呼ばれている。『風土記編』与野町の項には「氷川社 小村田村と当所の接地にて則(すなわち)両所の鎮守なり、社地扇子の形に似たるをもて、土人扇の宮と唱へり、小村田村在林寺持」と記されている。これに見える在林寺は氷川山と号する真言宗の寺院であった。
境内地が旧与野町と旧小村田村の境に位置しているため、宝永五年(一七〇八)の社殿再建の折には、境内林に対する入会の問題もかかわって、当社の管理をめぐり相論が起こったが、両町村の惣鎮守として小村田の在林寺が預かることで結着したという。現本殿はその際に造立されたものであるといわれ、本殿内には翌六年五月銘の両町村の氏子有志の名を連署した棟札が残されている。いわゆる手打ちの意味合いも込めたものであろう。
また、神輿が翌年の宝永七年三月に奉納され、神輿の屋根裏には寄進した与野町の有力者二十数名の名前が書かれている。
なお、別当の在林寺は神仏分離を経て、明治四年に廃寺となっている。
▢氷川神社の主な御祭神と御神徳
・建速須佐之男命 武運長久 災難除け 諸願成就
▢氷川神社本殿「さいたま市指定有形文化財」
本格的な造営になる江戸時代中期の二間社流造本殿であり資料により建立年及び建立期の状況が判明している貴重な建築である。全国的に見ると二間社の流造神社建築は例が少ない。
・棟札 「奉造立氷川明神宮一宇」「賓永六巳丑歳五月吉祥日」
・建築の年代 宝永五年(一七〇八)「新編武蔵風土記稿」による
▢摂社・末社
・叉倶稲荷社・八雲神社・稲荷社・天神社・八幡社・権現社 ・神明社・火王子社
▢主な御祭日
・二月上旬 氷川神社祈年祭・叉倶稲荷社初午祭
・七月第三土・日曜日 八雲神社例祭(夏祭り)
・十月上旬 氷川神社例祭(お日待)・氷川神社新嘗祭 |
神社・お寺情報 |
境内碑
八雲神社(天王さま)
鎮祭の縁起
当与野街の往昔よりの夏祭り八雲神社神輿の渡御は今日に至るも尚盛大なる行事であるがその社の存在が詳かでないので大蔵省関東財務局と宮司での調査に基き当所に明治二年巳歳牛頭天王社の祭祀が判明したので今回改めて天王社の総元宮と称される愛知県の津島神社に当所の崇敬者有志と共に参向し御分霊を拜受してこの地に社を新築し鎮祭したものである
昭和五十九年五月十三日参拜
本務一山神社兼務氷川神社宮司謹書 |
例祭日 |
・二月上旬 氷川神社祈年祭・叉倶稲荷社初午祭
・七月第三土・日曜日 八雲神社例祭(夏祭り)
・十月上旬 氷川神社例祭(お日待)・氷川神社新嘗祭 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ロビン
【
最終
更新日時】2021/02/13 19:46:07
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