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基本情報
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住所 |
埼玉県さいたま市中央区本町西2-5-6 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR埼京線与野本町 徒歩9分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
048-624-9742 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
・大山祇命 ・国常立尊 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
御嶽社 御由緒
さいたま市中央区本町西二-五-六
▢御縁起(歴史)
与野は江戸時代から木曾御嶽講の盛んな地域であった。とりわけ、与野の名主であった井原平八はその熱心な信者であり、御嶽講の四代講祖の一人である一心行者を支援すると共に、自らも御嶽講の先達として布教に努めた。
文政四年(一八二一)幕府は御嶽講に禁圧を加え、一心は遠島に処せられた。やがて、尾張藩主の取り計らいによって、御嶽講は解禁され、井原平八も布教活動を再開するが、当社は、口碑によれば、この禁圧のために一旦は所払いとなった井原平八が、住民の熱心な嘆願や御嶽講の解禁によって与野に戻ってから造った社であるという。したがって、『風土記稿』には、当社についての記載はなく、恐らくは、井原家が社地を寄進して新たに一社を設けたものか、既に地内にあった何らかの社の祭神を改めて御嶽社としたものであろう。
また、一説には当社は明治初年の創建といわれ、『明細帳』は、当社の由緒を「創立不詳。明治九年中再建。同十年五月天祖神社大国社の境内を併せて公園と定めらる」と記している。 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
御神の大井戸
古の事 祈りと修行の為 御告げとされた地に、聖水を求めた。
水豊かに湧き出で、度重なる水不足等災害の折りには、沢山の人々が救われ、また、御神酒造りにも用いられた。
以来、地元に愛され大切に守られたと伝えられる。
歳月が流れ、その名残を留めた此処に皆の幸せを願い、清らなる水を湛える古の釣瓶井戸を再建する。
平成二十六年 文月
御嶽社 |
例祭日 |
・春のお祭り(四月十五日)・冬至祭り(十二月二十一日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2020/11/28 21:06:03
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