埼玉県さいたま市桜区神田56 身形神社の写真1
 2.6

身形神社  (みのかたじんじゃ)


埼玉県さいたま市桜区神田56

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りんごぐみさん
★★ 参拝日:2020年1月19日 15:32
昼参拝。 無人の神社なのに手水場のお水は出てるし、嬉しくなる。 関係ないこと書こう。 レンジで温めるレトルトのごはんってあるじゃん?あれ、俺も妻も「さとうのごはん」って呼んでるのね。でも実際に家にあるのは生協のごはんだったり他のメーカーだったりするわけだ。だけどもあれは「さとうのごはん」。これは何十年か前にレトルトのごはんが出だした頃に、確か大和さくらとかいう演歌歌手がやってたCMで、レトルトごはん=さとうのごはんと擦り込まれたからだと思うんだよ。 そう考えると、 続きが思いつかないから終わり。
ムンクさん
★★★ 参拝日:2022年2月27日 11:50


生臭坊主さん
参拝日:2021年12月3日 11:54

thonglor17さん
★★★ 参拝日:2020年11月28日 08:33

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基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 埼玉県さいたま市桜区神田56
五畿八道
令制国
東海道 武蔵
アクセス JR埼京線与野本町 徒歩18分
御朱印授与時間
電話番号 048-822-2254(調神社)
FAX番号
公式サイトURL
御祭神 多紀理比賣命、狭依比賣命(市杵島姫命)、多岐都比賣命
創建・建立 仁寿元年(851年)
旧社格
由来 神田の地名は、古くはこの地が伊勢神宮の神債領であったことに由来し、神領にかかわるとされる月讀社が村の鎮守であった。当社は、その末社のような形で祀られてきた社で、天照大神と須佐之男命が誓約を行った際に、須佐之男命の剣から生まれた三柱の女神(いわゆる宗像三神)が祭神である。当社の祭神が宗像三神であるのは伊勢神宮に祀られている天照大神とのかかわりによるものと思われる。
旧社家の神山正男家所蔵の「身形神社略縁起」及び「古社取調書」によれば、当社は在原業平が身の守りに筑前国(現福岡県)宗像神社の分霊を乞い、東国に下った仁寿元年(八五一)八月、行き暮れて当所に宿を取り、暫時当社に参籠した際、その分霊をこの地に鎮め祀り、身形神社と称したことに始まるという。更に業平は、宝祚長久歌道の興隆を祈って持っていた筆を地に挿したところ、その筆軸が葭竹に変化して今日見られるような「西湖の葭」の群落になったと同書に伝えられる。また、境内には「さしおくもかたみとなれや末の世に源氏栄えはよし竹となれ」という業平の詠歌を刻んだ歌碑も建てられている。
江戸時代、当社は弁天社と呼ばれ、真言宗の永福寺の境内に祀られていた。当社を通称「葭竹弁天」というのはそのためで、本殿の内陣には、祭神の三女神像と共に業平の守り本尊と伝えられる像高一四・三センチメートルの白木一刀彫の神像が奉安されている。
(「埼玉の神社」より)
神社・お寺情報 境内掲示板
身形神社の文化財
浦和市指定天然記念物
セイコノヨシ自生地
  昭和三十四年三月三十一日指定
 セイコノヨシは、「西湖の葭」ということで、中国の西湖にちなんだ名である。イネ科ヨシ属の多年生草本で、ヨシのようにも、細い竹のようにも見えるので、俗にヨシタケと呼ばれることがある。草丈は二メートルから最大四メートルにも達する。茎は地上茎と根茎に分かれ、地上茎は越冬して節部から枝条を分生する。暖地性植物で、九州、四国から本州南部にかけて散生し、関東地方北部では珍しい。
 また、このセイコノヨシには、在原業平が使った筆の柄を地面に刺しておいたところ、これが根づいたものであるとの伝説がある。
浦和市指定有形民俗文化財
身形神社の雨乞い絵馬三面
  平成八年三月一日指定
 身形神社の雨乞い絵馬は三面ある。そのうちの一面は、縦六二・〇センチメートル、横八一・五センチメートルで、表面は、描かれているセイコノヨシや池の形から、身形神社と思われる神社境内で、裸の男たち二十五人が、雨乞いを行うようすである。裏面には、「雨之御禮」「嘉永四辛亥年九月六日」 とあり、嘉永四年(一八五一)九月六日に奉納されたものとわかる。また二十五人の奉納者の名前が記されており、表面に描かれている人数と一致する。
 裏面に「明治廿年丁亥十月十五日」「奉献 氏子中」「当村 関口菊次郎 作 仝 神山源助画」とある一面は、縦六〇・〇センチメートル、横九七・〇センチメートルで、表面はやはり身形神社境内での雨乞いのようすである。明治二十年(一八八七)十月十五日に奉納されたものである。 
 残る一面は、縦四四・五センチメートル、横六一・五センチメートルの黒い馬を描いた絵馬である。裏面には、明治二十六年(一八九三) 夏の旱魃に際して雨を祈願し、雨に恵まれたお礼として同年八年五日に奉納した旨の銘文がある。 
 これら三面の絵馬は、実際にあった旱魃に対して、雨乞いが行われた事実を伝えるものであり、特に二面は、その情景をも的確に伝えており、この地域における雨乞いの民間信仰を知る貴重な資料であるといえる。 
 なお、これらの絵馬は、浦和市立郷土博物館に寄託されている。
平成十年三月
  身形神社
  永福寺
  浦和市教育委員会
例祭日 春季例祭:4月3日 秋季例祭:9月11日
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】thonglor17
【 最終 更新日時】2020/11/28 20:44:58
 
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