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基本情報
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住所 |
埼玉県さいたま市緑区大間木1914 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR武蔵野線東浦和 徒歩7分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-873-3503 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
倉稲魂命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
稲荷社御由緒
さいたま市緑区大間木一九一四
□御縁起(歴史)
八代将軍徳川吉宗の命により、見沼干拓のために紀州から呼び寄せられた伊沢弥惣兵衛為永は、この難事業を享保十二年(一七二七)に成し遂げた。この事業によって失われた見沼溜井に代わる用水として開削されたのが見沼代用水で、その竣工は享保十六年(一七三一)である。見沼代用水は、農業用水として利用されただけでなく、舟運にも利用され、陸上交通が発達する昭和初期まで、江戸(東京)と用水縁辺の村々との間の物資の輸送に重要な役割を果してきた。
当社の鎮座する八丁は、この見沼通船の会所が設けられ、重要な荷揚げ場となっていた所で、船頭など舟運にかかわる人々も多く居住し、まさに見沼通船の基地であった。『明細帳』には、当社の由緒について「創立享保十六亥年九月其他不詳」と記されているが、この創立年から、当社は、見沼干拓による新田開発に伴ってこの地に住み着いた人々が勧請した神社であると思われ、本殿には勧請の際に受けた神璽などを納めていたものらしき筥が残っている。
また、境内には天保二年(一八三一)三月大吉日に氏子中が幟立を奉納していることや、天保六年(一八三五)二月初午に氏子の鈴木粂之助が手水鉢を奉納していることから、このころ境内の整備が図られたことが推測される。更に、拝殿内の額から、明治二十八年に参道の敷石や幟竿及び幟竿置場の奉納があったことがわかる。 |
神社・お寺情報 |
青面金剛 安永六丁酉九月吉日(1777)
水盤 天保六乙未年二月初午日(1835)
境内碑
奉納
敬神 愛郷ノ念願ニテ所有田地 貳反貳畝貳
拾九歩ヲ登記費用一切付 宮總代 淺子利右
衛門名義ニ登記シ 自費ニテ奉納紀念碑ヲ建
立セル 郷土出身 川口市 多額納税者
秋本島太郎殿
御寄進ニナリ収益ヨリ税金ヲ省キ 壹割ヲ初
午ニ子供ヲ喜バシテ戴キ度存シマス 他ハ村
差ニ振替ヘ 毎初午席上ニ決算シ 永久ニ其
美徳ヲ賛ヘ恩恵ニ浴ス事ニ決定セリ |
例祭日 |
・歳旦祭・初午(二月初午)・春禦(三月二十八日)・お日待祭(十月十五日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2022/04/19 05:39:53
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