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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県北本市東間1-6 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線北本 徒歩5分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
048-592-0821(北本高尾氷川神社) |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと) |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
富士山の山開きに合わせ行われる初山大祭には、成長を願う親が赤ちゃんを連れ、参拝に訪れます。
境内掲示板。
当社は中山道に面し旧北本宿の北部にあり、江戸中期、富士山信仰の広まりにより富士塚として築かれた山の上に社殿が建つ。
創建については、諸説が伝わる。一説は、万延元年(一八六〇)当時別当を務めていた東土山宝光寺(明治四年に廃寺)が、当社本尊であった薬師如来像御開帳の折に、版木を刷って配布した「富士大権現略縁起」によるもので、崇徳天皇の御世、(一一二三-一一四二)、武蔵国主であった大納言藤原俊行公の霊夢に、最初は本地薬師如来の姿で、二度目は木花開耶姫となって現れた祭神が、社地を示し、貴賤男女の繁栄の地となすべきと言って東を指して飛び去った。その後、富士山を尊び直ちに社殿を建立したという。
また一説は、『風土記稿』東間村の項に載るもので、「近村宮内村の名主彦兵衛が所持する記録に、鴻巣東新田富士浅間は伊奈備前守御代官の頃 (一五九六 - 一六一五)、深井藤右衛門及び長楽坊・大乗坊勧請すとあり、 是当社のことなるべし」とある。ちなみに当社は、寛永年間(一六二四 - 四三)のころまでは鴻巣領東新田と呼ばれていた。また、ここに見える名主彦兵衛は、現在も宮内に住む旧家大島家の先祖で、元は北条家の家臣で、岩槻城太田氏の城代家老を務めていたが、小田原落城の折、当地に落ち延びたという。
しかし、その大島家のロ碑には「当社は元は当家の氏神であったが、 鴻巣の勝願寺の和尚の世話で鎮守のなかった当地に遷し祀った」とある。
明治六年四月、当社は村社となった。 |
神社・お寺情報 |
例大祭の御朱印は社務所にて現地対応。
特別書式で朱印も違う。
新編武蔵風土記稿
足立郡東間村
淺間社 村ノ鎭守ナリ本地藥師ヲ安ス祕佛ナリトテタヤスク示スコトヲユルサス 末社 天神社 稻荷社 別當寶光寺 天臺宗川田谷村泉福寺末東土山實相院ト稱セリ近村宮內村ノ名主彥兵衞カ所持スル記錄ニ鴻巢東新田富士淺間ハ伊奈備前守御代官ノ頃深井藤右衞門及ヒ長樂坊大乘坊勸請ストアリ是當社ノコトナルヘシ此內深井藤右衞門ハ鴻巢ノ內宮地ノ民勘右衞門及ヒ生出塚村ノ民源右衞門カ祖先ナリ其餘二人ハ何レノ人ナルヤ詳ニセス文化年中回錄ノ災ニ罹リ未タ再興セス 鍾樓 貞享三年新鑄ノ鐘ヲカク銘文アレト考證ニ益ナケレハ取ラス
境内碑
東間浅間神社再建之碑
当社は東間の鎭守として八百八十年の歴史を有し、御祭神木花咲耶姫命は古来子育ての神崇敬され、初山例大祭には近隣市町村はもとより遠方からも子供の健やかな成長を祈る多くの参拝者で賑わっている。
平成十七年六月一日深夜、築約二〇〇余年の社殿が不審火により全焼した。氏子を始め宮司、総代等神社関係者にとってはまさに晴天の霹靂、ただ茫然自失するばかりであった。
しかしながら、幸い社殿を失った悲しみと憤りの中から、時を経ずして神社再建への機運が高まり、その意をうけて有志による再建準備会が発足した。ついで同年十月九日東間地区氏子の総意に基づき「東間浅間神社再建委員会」が設立された。東間一~八丁目およびサンマンション各自治会からの推薦による委員各位の積極的かつ献身的な活動と氏子を始め関係各位の心温まる御協力により奉賛金の募集並びに建築工事も円満に進行し、平成十九年六月無事竣功を迎えることが出来た。
これ偏に御祭神の御神徳と氏子各位並びに東間地区外有志の方々の御理解と御支援の賜と深く感謝する次第である。
茲に社殿再建に至る経緯の概略を刻し、この地域伝統の文化を後世に伝えるとともに併せて御祭神の御神徳を広く宣揚する事を祈念して建立するものである。
平成十九年六月吉日
東間浅間神社再建委員会
境内掲示板
北本市指定有形民俗文化財
東間の富士塚
平成二十五年三月二十八日指定
地元で「センゲンサマ」と呼ばれているこの富士塚は、東西約三十七m、南北約二十七m、高さ約六mの規模で、頂には木造の社殿が建てられている。参道と東側の石段および社殿は直線上に配置され、これを延長した先は実際の富士山を正確に指向する。中腹には享保八年(一七二三)の銘が入った「石段供養塔」が建てられており、塚の築造時期は、少なくとも江戸時代中期にさかのぼると考えられる。
このため東間の富士塚は、江戸時代後期に隆盛した「富士講」以前の古い富士信仰による築造であり、近在においても類例が少なく大変貴重である。
毎年六月三十日、七月一日には、この一年の間に生まれた赤ちゃんの成長を祈願する初山行事が行われている。
平成二十五年六月
北本市教育委員会
境内碑
築山補修塀厠新設工事竣工記念俾
当山は古来氏子信者の献身的な奉賛により護持されてました
然るに第二次世界大戦以降世相の変遷は甚だしく お山の崩壊境内の荒廃は歴代氏子総代の苦悩の因子でありましたが 先年の社殿末社等の修復を機に之が本復を計る可く鋭意基金の積立に努めると共に懸案の境内南側境界線の確定解決を得て念願のお山の大修復工事に併せて境内塀垣の築造、市下水道の通水に従ひ社務所内厠及び外厠の水洗化改新設等の諸工事に着手すること得ました
本日無事之等諸工事の竣工を迎え得ることが出来ましたことはこれ偏に祭神の御加護と氏子信者の鎮守崇敬の賜と深く感謝すると共に爾今お山崩漬防止策の一端として山裾より土止め礎を巡らし山頂に及ぼす継続事業を策定しその事始めとして初礎石を定置、お山を永遠に護持することを祈念建碑以て後代に伝えんとするものであります
昭和六十二年二月吉日 建立
一、工事概要
昭和六十年三月二十七壹境界確認の爲測量実施に續き境内広場盛土風倒木危険木の除去伐採と補植 環境整備に伴う植樹等を推進しつつ昭和六十年十月二十七日築山、土止擁壁の根本的補修と新規構築、山腹盛土、山項及び天端の混凝土打込、境内南北両境にブロック塀垣を築造下水道工事と共に社務所内の水洗化と外厠の新築等の諸工事に着工し、昭和六十一年一月二十七日竣工す
一、総工費 金八百弐拾萬四千参百弐拾六円也
総額積立準備基金より捻出す
一、設計施工 上尾興業株式会社 |
例祭日 |
6月30日、7月1日(日にち固定)初山例大祭 。 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】重複表現を修正しました。
【
最終
更新日時】2024/08/25 11:33:28
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