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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県鴻巣市糠田1342 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線鴻巣 徒歩31分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
048-596-0550 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
須佐之男命。稲田姬命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
□御縁起(歴史)
鎮座地の糠田は、荒川左岸の低地に位置し、その地内にはかつて「糠田の渡し」と呼ばれる荒川の渡し場があった。対岸の比企郡須戸野谷(すどのや)新田(現吉見町)と結ぶこの渡し場は、糠田河岸という河岸場でもあり、熊谷の久下から下って来た船の、最初の休み場であった。
この糠田の鎮守である当社は、朝日山と呼ばれる台地上に祀られ、須佐之男命と稲田姫命の二柱を祭神とする。そのため、本殿はニ間社の流造りとなっており、内陣には「氷川大明神御宝前 享保三年(一七一八)戌ニ月吉日」の銘のある金幣が納められている。なお、当社の境内は、昭和五十五年に県から「ふるさとの森」に選定された美しい社叢に包まれており、社殿はこの森の中央にある。
当社の由緒については、『風土記稿』糠田村の項に「永川社 村民の持 文禄の頃(一五九ニ~九六)まで小社なりしが寛永年中(一六ニ四~四四) 村の鎮守として造営すと云」と記されている。この記述と、境内が地元の旧家の河野権兵衛が代々住居を構えた「権兵衛屋敷」に近い所にあることから、当社の創建には河野家が深くかかわっていたと推測できる。現在の本殿は、享保三年(一七一八)に建立されたもので、平成五年には市の有形文化財に指定された。ちなみに、この本殿の四周には精緻な彫刻が施されているが、数年前にその一部が心ない輩に盗まれてしまったことが惜しまれる。 |
神社・お寺情報 |
糠田邨新渠碑 燕齋男谷孝撰并書
糠田邨在武藏國足立郡荒川堤内地極𤰞濕毎淫雨輙潦水注
溢経旬不退曩時開渠注諸荒川荒川淤髙渠流梗澁遇其少漲
則逆流氾濫人伍魚鼈民居凋落窮困日甚闔邨憂之數訴 官
而不淂者多年於茲矣迄河野幸道為里正時興子道春其子㝎
祥其子信庸訴之司農柳生君縣令淺岡直澄亦請 官乃命別
開新渠渠道有田宅者屬信庸謀焉賜黄金着干信庸亦○金資
其費於是邨民竭力鑿渠一千四百八十余歩數月而就實文化
丁卯夏也爾還無蔆氾濫之患居民淂蘇息收穀亦倍蓰於舊新
渠之事河野氏累世相謀至信庸而浚始就可謂蘉矣然信庸不
敢以功名自𠁅乃建柳生淺岡二氏生祠以報其勞亦可謂厚矣
信庸曽祖曰幸道祖曰道春考曰㝎祥世二儉勤然至興除利害
毫不為愛惜也信庸游余多年今也請記余不敢譲為申其槩云
天保八年歳在丁酉十一月至日 河野信庸立石
新編武蔵風土記稿
足立郡糠田村
氷川社
村民ノ持文祿ノ頃マデ小社ナリシカ寬永年中村ノ鎭守トシテ造營スト云 末社 稻荷社 天王社 八幡社 鹿島社
奉燈碑
文学博士小杉榲邨題額
立志之人欲興事業誓成功於神明者至誠以仰冥
護専心以勵業務未有不達其志望者也桂田稲藏
子為河野平藏氏三男慶應元年生於糠田出繼桂
田氏家世為農而子獨欲為商斷然決志赴于帝都
投身穀商家刻苦勤勉熟達斯業於是開穀廛於神
田大和街夙夜精励逐富致巨萬日夕拜神祇曰徒
手而至于此者一賴神助矣已因奉建石燈雙基於
郷里氷川社前以表敬神之誠意於悠久戚屬岡崎
清助氏慫慂樹石使予記之予奉職糠田黌二十有
五年翹望如斯人也久矣至今始得接焉冀使斯人
復接斯人也喜而〇銘々曰
于嗟至誠 自夬神明 億則屢中 貨殖家潤
神佑自勒 於是乎信 賽燈雙基 千古照祠
明治三十九年丙午年九月
糠田尋常小學校長吉見起代三撰并書 |
例祭日 |
元旦祭(一月一日)。春の中祭(ニ月下旬の日曜日)。風祭り(四月第一日曜日)。夏の大祭(七月十四・十五日)。秋の中祭(十一月下旬の日曜日)。 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/02/25 19:34:47
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