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基本情報
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住所 |
埼玉県熊谷市仲町43 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
秩父本線上熊谷 徒歩5分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-522-2299(古宮神社) |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・東照大権現(徳川家康公) |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
当社の創建は、元久二年(一二〇五・鎌倉)である。
稲荷神を深く信仰していた熊谷次郎直実公は、戦で数々の危難に遭っても弥三左衛門という武者に助けられ、武勲を上げた。余りの不思議さに直実公が弥三左衛門にその素性を尋ねたところ、「吾は、汝が信ずるところの稲荷明神なり。危難を救わんがため弥三左衛門と現じけり」と言い、忽然と姿をけした。その霊威に感じた直実公は、帰陣の後、熊谷寺境内に詞を設け稲荷神を祀り、居城の鎮守とした。こうしたところから弥三左衛門稲荷とも呼ばれた。
その後、慶長年間(一五九六 - 六ー五・桃山)に熊谷寺中興の祖「幡随意上人」が社殿を再建し、享保四年(一七一九・江戸)には、正一位の神階を受けた。
明治に入ると、神仏分離によって熊谷寺の管理を離れ、明治二年鎌倉町の愛宕神社境内に遷し祀るが、明治三十一年九月に仲町氏子等の願い尽力により、旧社地(現在地)に遷座され深く信仰され現在に至っている。
合殿神 東照大権現 維新前まで熊谷寺境内に東照宮が祀られていた。明治二年神仏分離に伴い、伊奈利神社へ合祀され、現在に至っている。 |
神社・お寺情報 |
「奴稲荷」の通称と共に当社は、子育て稲荷として名高く、関東一円に亘り崇敬者がおり、その霊験はあらたかであるという。
病弱な子供は稲荷神の家来(奴)と称し、三年とか五年とかの期間を決めてその間月参りを欠かさず行えば必ず丈夫になるといわれ、その期間中は稲荷様に奉祀している証としてもみあげ(奴) を伸ばし、丈夫になり満期を迎えるとそれを切って神前に奉納する習慣があった。
この様な習慣により奴稲荷と呼ばれている。
また、商売繁盛・家内安全・五穀豊穣の神として古くから信仰され多くの信仰を集めている。往時は、毎月八日が縁日で、旧中仙道から拝殿の前までずっと紅白の提灯を提げて多くの参詣者で賑わったが、関東大震災以後は町並みが大きく変わったため、縁日は行われなくなった。更に、国道十七号の新道開通によって交通量が激増したため、交通安全稲荷として崇められるようになった。なお、昔から熊谷三社参りと称して、稲荷木伊奈利(銀座)・高城神社(宮町)・当社の三社を巡拝することが盛んに行われた。現在でも篤信家により行われている。
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例祭日 |
四月八日、十一月八日
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】zx14r
【
最終
更新日時】2022/07/24 11:13:23
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