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基本情報
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住所 |
埼玉県本庄市児玉町太駄293-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
秩父本線樋口 徒歩49分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0495-72-3294 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
・岩長媛命・石凝姥命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
岩上神社 御由緒
本庄市児玉町太駄二九三
□御縁起(歴史)。
当社は、身馴川(小山川)が大きく蛇行する所に突き出た山の上に鎮座している。境内の北側の斜面は、三葉ツツジの群生地となっており、春の開花期には美しい花が一面に咲き誇る。 また、川に沿って県道秩父児玉線が走っているが、当社付近のヘアピンカーブのことを、古くは当社にちなんで「明神様の大曲り」と呼んでいた。
『児玉郡誌』によれば、当社は往古より当所の鎮守として奉斎してきた神社であり、社殿は元来境内の後方の神山の嶺にあったが、いつのころか今の社地に移されたという。また、社号については、慶長三年(一五九八)に大和国(現奈良県)石上神宮の神主桜井丹波という者が当地に来て吉田家の配下となり奉仕するようになった時、「いそがみ」と訓むようにしたという。 『風土記稿』太駄村の項にも「岩上明神社吉田家の配下、桜井丹波が持、末社金鑽明神」と載るように、桜井家はその後も代々祀職を務めてきたが、桜井文五郎を最後に神職を辞め、一族の中里重一が後継者となった。しかし、昭和十二年ごろから鈴木家が兼務するところとなって現在に至っている。
当社は明治五年に村社となり、同四十五年六月に類火によって社殿が全焼したが、大正十一年十一月に再建を果たすことができた。 また、大正十一年十二月には境内末社の金鑚神社を本殿に合祀した。更に、昭和四十八年には再び拝殿を焼失するが、同年に再興を果たした。 |
神社・お寺情報 |
燈籠 慶應二年丙寅( 1866年 ) |
例祭日 |
・新年祭(一月三日) ・節分祭(二月三日) ・春祭り(四月十五日) ・大祓式(七月二十一日) ・秋祭り(十月十七日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2021/06/06 07:54:14
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