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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県上里町五明871 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線新町 徒歩29分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0270-65-2305 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
・稚産霊神・豊宇気毘賣神 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
第62回伊勢神宮式年遷宮記念
天神社 御由緒
□御縁起(歴史)
上里町五明八七一
五明は、利根川支流の神流川の右岸に位置する。地内には、五明古墳群をはじめ、奈良・平安時代の集落跡が多数発見されており、奈良時代の布目瓦を有する廃寺跡も存在する。
『明細帳』に「創立不詳、本社ハ延喜式内当国四十四座ノ一ニシテ今城青八坂稲実神社ナリト云伝フ (以下略)」と載せられている。また、当社に伝わる文書から、天保三年(一八三二)に上州新田郡の岩松満次郎が、同家の家紋である中黒紋の付いた幕と高張提灯を今城青八坂稲実大明神(当社)に寄附したことが知られる。今城青八坂稲実神社の社名は、稲霊を賛美した名称で、稲作信仰に基づくものであるとされる。ただし、児玉郡内には式内社の今城青八坂稲実神社に比定される神社が当社を含めて六社あり、定かではない。
『風土記稿』五明村の項には「丹生社・天神社以上二社を村の鎮守とす、大福寺持なり」とある。丹生社は、用水を隔てて当社の東、現在の集会所の建つ場所に鎮座していた。『郡村誌』に「月読命を祭る、万寿元甲子年(一〇二四)九月藤原知近創建す」と記されるが、明らかではない。また、別当の大福寺は真言宗の寺院で、同寺を開山した快尊は万治四年(一六六一)に没したと伝わる。
当社は、明治初年の神仏分離により大福寺の管理を離れ、明治五年に村社となった。また、明治四十二年には丹生社を合祀した。
境内掲示板
天神社
所在地 児玉郡上里町五明八七一
天神社の祭神は稚産霊神、豊受氣毘賣神、大山祇命、日本武尊の四神である。
当社の創立年代は不明であるが、延喜五年(九〇五)に藤原時平らが勅を受けて編修した延喜式神明帳に載る賀美郡(児玉郡)四社の一つ今城青八坂稲実神社であると伝えられているので、かなり古い社であると思われる。なお、御神体である神代石(高さ六十七センチメートル、太さ約十三・五センチメートルの安山岩)には「えむぎしきない」「いまきあおやさかのかみ」と刻まれている。
現在ある社殿は享保七年(一七二二)の再建で、天保年間(一八三〇~四四)に書かれた中岩満次郎道純の祈願書が残されている。
明治十年に白山神社を、同四十二年に丹生神社を若宮より遷し合祀した。また、境内神社として諏訪神社、稲荷神社、八坂神社、市杵島神社が祀られている。
なお、当社には神楽が伝承されていたが、現在は中断されている。
昭和六十年三月
埼玉県
上里町 |
神社・お寺情報 |
水盤 庚午文化七歳正月(1810)
御神燈 天保六年乙未九月廿八日(1835) |
例祭日 |
・元旦祭(一月一日) ・春祭り(三月二十九日) ・大祓式(七月三十一日) ・秋祭り(十月十九日) ・新嘗祭(十二月八日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2021/09/24 19:12:16
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