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★★★★ 参拝日:2017年6月25日 00:00
★★★ 参拝日:2023年3月21日 11:43
★★★★ 参拝日:2023年3月21日 11:42
浅草寺の東側にあります😊 境内では猿回し🐒や春分の日🎌のイベントが行われていました♪ 御朱印は社務所にて並んで直書き(500円)でいただきました❣️ 春分の日限定の御朱印は終了して、予約券をもらって後日受け取りになっていたので諦めました😊
★★★ 参拝日:2020年2月27日 13:59
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住所 | 東京都台東区浅草2-3-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 営団銀座線・東武伊勢崎線「浅草駅」 徒歩7分 都営浅草線「浅草駅」 徒歩10分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 03-3844-1575 |
FAX番号 | 03-3841-2020 |
公式サイトURL | http://www.asakusajinja.jp/ |
御祭神 | 【祭神】 土師真中知命(はじのまなかちのみこと) 桧前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと) 桧前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと) 【相殿】 東照宮(徳川家康公) 大国主命(おおくにぬしのみこと) |
創建・建立 | 不詳 |
旧社格 | |
由来 | 浅草寺に祀られている観音様を隅田川から救い上げ自宅に祀った、当時土地の文化人と漁師2人の合わせて3人を浅草発展の功労神として祀る。
国の重要文化財に指定された社殿を構え、5月に行われる三社祭りは全国的に有名。 推古天皇の36年3月18日のことでした。 漁師の桧前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁労に精を出していましたが、その日に限り一匹の漁もなく網にかかるのはただ人型の像だけでした。 幾たびか像を水中に投げ捨て、何度場所を変えて網を打ってもかかるのは不思議と人型の像だけなので、最後には兄弟も不思議に思い、その尊像を捧持して今の駒形から上陸し、槐の切り株に安置しました。 そして、当時、郷土の文化人であった土師真中知にこの日の出来事を語り、一見を請うたところ、土師氏は、これぞ聖観世音菩薩の尊像にして自らも帰依の念心仏体であることを兄弟に告げ、諄々と功徳、おはたらきにつき説明しました。 兄弟は初めて聞く観音の現世利益仏であることを知り、何となく信心をもよおされた2人は、深く観音を念じ名号を唱え、「我らは漁師なれば、漁労なくしてはその日の生活にも困る者ゆえ、明日はよろしく大漁を得させしめ給え」と厚く祈念しました。 翌19日に再び網を浦々に打てば、願いのごとく大漁を得ることができました。 土師真中知は間もなく剃髪して僧となり、自宅を改めて寺となし、さきの観音像を奉安して供養護持のかたわら郷民の教化に生涯を捧げたという。 いわゆるこれが浅草寺の起源です。 土師真中知の没した後、間もなくその嫡子が観世音の夢告を受け、三社権現と称し上記三人を神として祀ったのが三社権現社(浅草神社)の始まりであるとされています。 これによると創建は今を去る1,350年程の昔ということになりますが、これは少々無理のようで、平安の末期から鎌倉にかけて権現思想が流行しだした以後、三氏の末裔が崇祖のあまり浅草発展の功労に寄与した郷土神として祀ったものであろうと推定されます。 奇しくも明治維新神仏分離令により浅草寺との袂を分かち、明治元年に三社明神社と改められ、同6年に現在の名称に至ります。 今もなお、「三社さま」として親しまれている浅草神社ですが、元来三人の神様をお祀りしたことからそのようによばれています。 |
神社・お寺情報 | 浅草七福神 恵比寿。 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 三つ網紋 |
更新情報 | 【
最終
更新者】zx14r 【 最終 更新日時】2022/02/26 08:58:20 |