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基本情報
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住所 |
東京都板橋区板橋2-19-20 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武東上線「下板橋駅」「大山駅」 徒歩5分 都営三田線「板橋区役所前駅」 徒歩5分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
03-3963-0383 |
FAX番号 |
03-3963-1583 |
公式サイトURL |
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御祭神 |
木花咲耶姫乃命(このはなさくやひめのみこと) |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
創建年代不詳なれど、富士浅間神社の分霊を勧請し、江戸時代子安宮又は子安神明とも称し明治初年子易神社と改称、古来安産、子育、保育として信仰を遠方より集め、家内安全、商売繁栄と共に御神徳を仰ぐ神社である。
境内掲示板1
子易神社
御祭神木花開耶姫命。
創建年代は不詳ですが、延宝二年(一六七四) の検地帳に境内地が記されており、それ以前から当地で祀られていました。古くは武州豊島郡金井窪村の鎮守であり、もと富士浅間神社の御分霊を遷祀したものと伝えられています。
江戸時代には別当の福正寺 ( 福生寺とも称す、明治初年に廃寺 ) が当社を管理し、古来安産・子育ての神様として広く信仰を集め、江戸時代より安産に御守札を頒布していました。
境内に祀られている子安観音坐像は、もとは福正寺の持仏と伝えられ、福正寺が廃寺となった際、当社へ遷座されました。像は蓮華座の上に結跏趺坐し、膝の上に朱色に彩色された子供を抱いています。 像は入母屋造りの厨子に安置されており、厨子の屋根裏の墨書銘から、明和二年 ( 一七六五) 霜月十六日に氏子が願主となり開眼供養が行われたことが分かります。
子易神社には祭礼に関する古文書が伝わっており、祭礼の運営が金井窪村の年番と若者衆により執行されていた点や、神楽師を招き十八座神楽を奉納していた様子が分かります。また、祭礼寄進帳からは金井窪村をはじめ、遠く麹町や神田からも寄進・奉納をうけている事が確認でき、当社の信仰範囲の広さを窺わせます。
子易観音坐像及び子易神社文書が共に区の文化財に登録され、子易神社の歴史を伝えています。
平成二十三年三月 板橋区教育委員会
境内掲示板2
子易神社
御祭神 木花咲耶姫命
創建年代は不詳であるが、境内地が延宝二年(一六七四) の水帳に記載されている。安政三年(一八五六)の絵図には子安社と記され旧金井窪村の鎮守として、また社号から、安産、子育ての神として信仰を集めていた。その後子易神社と社号を改め、その御祭神から富士信仰と関わる神社としても知られる。
境内に祀られている明和二年(一七六五) 銘の子安観音は、当神社の別当寺であった福正寺のもので、同寺が廃寺になった際、この地に移された。
神社の入口にある「身替り地蔵」は、元禄八年(一六九五)造立されたもので、もと神社の裏手(現金井窪保育園の地)にあった。 台座に「右上尾」 「左河越」と刻まれ、道標にもなっていた。この地蔵は「胸突き地蔵」とも呼ばれている。
昭和五十八年三月 板橋区教育委員会 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
9月第3土・日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】重複表現を修正しました。
【
最終
更新日時】2024/08/25 18:37:23
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