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みんなの参拝記録
★★★★ 参拝日:2019年9月21日 13:11
★★★ 参拝日:2018年12月13日 00:00
参拝日:2018年9月21日 00:00
★★★ 参拝日:2018年6月22日 00:00
社務所不在。2度目の参拝。
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 神奈川県小田原市城山1-22-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
アクセス | 伊豆箱根鉄道大雄山線緑町 徒歩4分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0465-34-7630 |
FAX番号 | 0465-34-7629 |
公式サイトURL | http://daiinarijinjya.com/ |
御祭神 | 田中大神(たなかのおおかみ)
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ) |
創建・建立 | |
旧社格 | 村社 |
由来 | [参拝の栞] 大稲荷神社の由来伝記によれば、小田原城、北条時代に、修験者が旧竹ノ花地区内に修験堂を建立した。武田家の臣曲渕氏が主家滅亡後、徳川家に随身。この地を釆地として賜り修験堂に稲荷大明神をおまつりしたことに始まり、その後天正十八年(西暦一五九〇年)、初代大久保忠世公小田原城主となり、京都伏見稲荷大社の最北座田中大神を合祀し、信仰ことに篤かったが、子忠隣公の時に幕府の忌諱に触れ改易国替えとなりそれ以来永年に亙り祭祀するものも無く荒廃にまかせた。 貞享三年(西暦一六八六年)、忠朝公小田原に帰藩が許されその子忠増公の時に家臣清水氏の息女並びに側近内芝氏に御神託あり、その御告に従い小田原城の鬼門除稲荷として再興したため、忠増公には老中執政職に昇進。その御神徳の崇高広大にしてそのあらたかさに恐懼感激し、宝永三年五月(西暦一七〇六年)、現在地の谷津山に御社殿を造営せられたものである。 ・宝永八年(西暦一七一一年)四月、正一位神位宣命、正一位大稲荷大明神と奉称 ・同八年五月、忠増公は社領七十石寄進 ・明治の御代には常宮昌子内親王(明治天皇第六皇女)、周宮房子内親王(明治天皇第七皇女)の両殿下が御用邸御滞在の折にしばしば正式・略式の御参拝をせられ、社前の左右に夫々松樹をお手植えせられた。 ・元宮の神紋は行者輪宝で当地方唯一の春日造で屋根は檜皮葺である。その覆屋根は昭和六十二年に銅板葺にした。 以上 |
神社・お寺情報 | 小田急の総鎮守。
駅や百貨店屋上の稲荷社はここからの勧請か? |
例祭日 | 1月1日歳旦祭(さいたんさい) 2月3日節分追儺祭(せつぶんついなさい) 2月17日祈年祭(としごいのみまつり) 2月上午の日初午祭(はつうまさい) 5月4日例祭(れいさい) 5月5日例祭(れいさい)[神幸祭(しんこうさい)] 6月30日夏越の大祓(なごしのおおはらえ) 11月23日新嘗祭(にいなめさい) 11月下旬大麻頒布始祭(たいまはんぷはじめさい) 12月31日大祓(おおはらえ) 毎月1日月次祭(つきなみさい) |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】管理者 【 最終 更新日時】2022/12/14 11:38:18 |