神奈川県大和市深見3367 御倉稲荷神社(境内社)の写真1
 3.0

御倉稲荷神社(境内社)  (おくらいなりじんじゃ)


神奈川県大和市深見3367

みんなの御朱印


自分の御朱印

まだ御朱印が登録されていません

みんなの参拝記録

ののうさん
参拝日:2019年3月13日 16:02

ロビンさん
参拝日:2025年1月21日 11:39


しらうめさん
参拝日:2023年12月17日 10:17

やおかみさん
★★★★★ 参拝日:2023年5月24日 16:00
深見神社の境内社の稲荷神社。近くにある富澤稲荷は、富澤さんちの稲荷だから、深見神社とは関係無いそうです(笑)。

自分の参拝記録

まだ参拝記録が登録されていません

みんなの動画

自分の動画

まだ動画が登録されていません

基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 神奈川県大和市深見3367
五畿八道
令制国
東海道 相模
アクセス 小田急江ノ島線大和 徒歩11分
御朱印授与時間
電話番号 046-261-2539
FAX番号 046-261-2539
公式サイトURL
御祭神 宇迦之御魂命   ( うかのみたまのみこと )
創建・建立
旧社格
由来 [参拝の栞]  延喜式深見神社御由緒  一、御祭神 武甕槌神・建御名方神   一、鎮座地 神奈川県大和市深見三三六七  一、例祭日 九月十五日  一、由緒 深見神社の創始は古く、総國風土記によれば今より約千五百年前、人皇第二十一代雄略天皇二十二年三月の創祀とあり、朝廷をはじめ、歴代國司より奉幣の事が記されて有り、更に醍醐天皇の御代に制定された延喜式神明帳に相模國十三座の社と定められ、官社として扱われて國幣を奉られた。  深見は和名抄所載の布加美であって、古は深海又は深水と書き、相模原の東辺境川流域一帯に亘る地を総称した。太古この附近一帯は相模湾が深く湾入し舟筏を以て交通したことが推測され、今ここを古深見入江と仮称している(県史蹟調査員石野瑛氏説)。  当社の縁起によると、武甕槌神、東國鎮撫のために常陸鹿島に在られた時、舟師を率いてここに進軍され、伊弉諾神の御子、倉稲魂神、闇�フ神の二神をして深海を治めさせられた。両神は深海を治めて美田を拓き、土人を撫して郷を開かれた。即ち深見の名の起った所以である。今境内にある御倉稲荷神社は両神を祀る所であり、里人は五穀豊穣をはじめ、縁結び・家内安全・商売繁昌・学問等の神と敬っている。  景行天皇の御代、皇子日本武尊御東征の時、足柄峠を越え古相模湾の岸を経てここに軍を駐められ、この入江から舟師を出されたと云う。今郷内にある薙原、石楯尾及御難塚の地名は尊の御遭難の地と伝称されている。  後屡々官使の来反があった。深見(深水)、瀬谷(店屋)、草柳(草薙)、蓼川、久田(宮田)等から米、粟、鯉、鰻、鮒、蓮根、菱の実、独活、善活等を進貢し又は其の饗に充て、又薬草を採取して主薬部に献じた事皆古書に伝えている(伴信友書写総國風土記による)。  年移ること千五百余年、其の間世々里人の尊崇厚く、渋谷庄司重国、佐々木源三秀義の昔から降っては山田伊賀守経光を深見四万坂に討滅した。太田道潅は其の出陣に際して社前に戦勝を祈り、坂本小左衛門重安は徳川家康の大阪陣に従軍するに当って武運長久を祈願して田を寄進し(鹿島田と云って今残る)、徳川幕府の寺社奉行坂本内記重治は屡々参詣して社殿を造営し、相模國十三座の一深見神社となる社号標を建立した。爾来坂本家は明治維新に至る迄代々当社を崇敬し屡々参拝の上奉幣した。   明治六年十二月、太政官布告によって郷社に列せられたが同八年、隣地仏導寺の出火に類焼し壮厳な社殿工作物重要古文書忝く烏有に帰し逐に神域荒廃して公称社格不詳となった。明治四十二年、村内諏訪の森に鎮座の諏訪神社を合併し茲に我國建國史上御縁深き二神は御同列に奉祭され、深見神社として御神徳益々赫かし、この地方遠近の崇敬者より御神徳を敬仰されている。明治の初めから社殿造営、神社復興の議は有志によって何回となく企てられたが実現されなかった。昭和十五年九月三日炎上以来、実に五十五ケ年、社殿造営郷社復活の議が起り、深見神社奉賛会は組織され氏子崇敬者の熱情は逐に昭和十六年十一月十五日に壮厳なる本殿、拝殿、神饌舎、玉垣、末社、社務所、鳥居、手水舎等々を建立し、同十七年三月二十五日、改めて郷社に列格した。  尚境内にある靖國社はもと厚木航空隊内の守護神として同隊の戦死者を祀っていたが、終戦により取除きを命ぜられ深見神社に移築し、深見部落戦没者全員を合祀し昭和二十六年四月七日、鎮座祭を執行し摂社とした。(深見神社奉賛会謹誌)  一、御神木なんじゃもんじゃの木 樹令五百年、周り四メートル、木の高さ四三メートル、全国的に珍しい木である。  この御神木の北側御神木延喜の松があった。目通三丈五尺五寸(十一メートル)  、高さ百六十五尺余り(五〇メートル)、樹令一千三百年余り。白雉の頃植えられたと云い伝う。現在の御神木は延喜の松の下木であった。  以上  
神社・お寺情報
例祭日 2月上午の日初午祭(はつうまさい)
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】三毛猫
【 最終 更新日時】2023/09/29 12:47:55
 
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々はこちらよりお気軽にご相談ください。

近くの神社・お寺

近くのお城

このエントリーをはてなブックマークに追加 フォローする

通報

※「情報が異なる」「迷惑情報」を発見された方は、通報するを押してください。

神社・お寺検索

※は必須です
 
 
*
*

 
 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら

サイト内全検索

最近検索された神社・お寺

二月堂  法華堂(三月堂)  不動堂  橋吉稲荷社(金礼宮境内)  公岡稲荷大明神(金礼宮境内)  えびす神(金礼宮境内)  伏見義民事蹟(御香宮神社境内)  神馬(御香宮神社境内)  全てに勝ちま栗(乃木神社境内)  淺間神社  大山祇神社 (若杉山)  月見天満宮  梵天奉鎮所(縣神社境内)  御神木(縣神社境内)  紅姫稲荷社  出世稲荷大明神  枝垂れ銀杏(波除神社境内)  垂水(下鴨神社境内)  神馬舎(上賀茂神社境内)  車祓所(北野天満宮境内)  因幡堂  御影堂門  なで牛  客殿  弁天社・地主天王  鐘楼  お岩大明神  山門  千里稲荷  三山神社(月山神社•湯殿山神社•羽黒山神社)  弓矢八幡宮  稲荷社  子安神社  尚美館(貴賓館)  神明地蔵尊(高松神明神社境内)  極楽寺  鶴林山観音寺  鶴林山金蔵寺(正円寺別院)  医王山明王院  旧靈水山淨靜院光明寺  旧靈水山淨靜院光明寺  広沢観音  活魚塚(波除神社境内)  鮟鱇塚(波除神社境内)  玉子塚(波除神社境内)  昆布塚(波除神社境内)  境内社(常磐神社境内)  稲荷神社(珠城神社境内)  境内社(珠城神社境内)  神馬舎  祇園の御神水  車の祓所  葵忠社(車折神社境内)  小唄堀派祖霊舎(車折神社境内)  愛宕社(車折神社境内)  亀守稲荷神社  富賀岡八幡宮  末鷹稲荷大明神  稲荷大明神  奥村稲荷大明神  みやまど天神菅原社  祖霊社(車折神社境内)  清めの社(車折神社境内)  神水(松尾大社 境内)  伊勢神宮(松尾大社 境内)  相性の松(松尾大社 境内)  天満宮(若宮八幡宮 境内)  合祀社(玉田神社 境内)  神武天皇遥拝所(玉田神社 境内)  大神宮両宮遥拝所(玉田神社 境内)  鏡島弘法乙津寺  境内社(大中内池神社 境内)  若宮八幡宮•天磐戸社•白髪社•大福天社•高根社•若宮社  合社(後御殿)  青麻大神  塩釜神社•伊雑宮  船魂大神  交通安全神社  稲荷社(室城神社 境内)  境内社(荒見神社 境内)  覚蔵院  白山神社  庚申塔(産土八幡神社参道脇)  忠魂碑(五所神社境内)  毘沙門天(五所神社境内)  御神木の楠(五所神社境内)  恵比寿神(五所神社境内)  大黒天(五所神社境内)  津島神社  下崎八幡神社  八雷神社  八雷神社 (二塚)  町屋観音堂  皇石宮  丸ケ崎観音堂  丸ケ崎観音堂  波除神社七福殿  すし塚(波除神社 境内)  厄除天井大獅子(波除神社 境内)  稲荷大神(波除神社 境内) 

何を投稿しますか?

神社・お寺検索

初めてご利用の方は、使い方をお読みください。
*は必須です
 
 
*
*

 
 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら
※「記録を色分け」を選ぶと、参拝や御朱印の記録が地図上で色分け表示されます。(検索に時間がかかります。ログインが必要です。)