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★★★★★ 参拝日:2018年12月30日 00:00
★★★★★ 参拝日:2023年4月25日 15:03
書き置きもありますが、素敵な神主さんが、手書きの御朱印を下さりました。珍しい神宮大麻もありました。絵馬は、「叶」でした。
★★★ 参拝日:2021年8月22日 11:15
延喜式内論社
参拝日:2021年5月1日 00:00
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住所 | 神奈川県伊勢原市高森527 |
五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
アクセス | 小田急小田原線愛甲石田 徒歩16分 |
御朱印授与時間 | 朝9時くらい~夕方16時くらいまで。(神主さんより聞いた) |
電話番号 | 0463-93-8208 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://takamori.php.xdomain.jp/ |
御祭神 | 味須岐高彦根命(あじすきたかひこねのみこと) |
創建・建立 | 不詳 |
旧社格 | 郷社 |
由来 | [由緒]
御祭神味須岐高彦根命は、日本に稲作を拡めた加茂族の首長でありました。 大国主命の長子として生れ、天照大神が大国主命に国土を献上するようにと天稚彦をつかわした時、和合をもって平和に徹した神で、大和の葛城に鎮座されたのであります。 御祭神は、大変権威の高い神であるとともに日本の国土造りの中心人物でありました。 その高彦根命が、いつどんな経過で、この高森に鎮座されたか、明らかではありませんが、おそらく古い時代、葛城にゆかりのある人々がこの地に来て開拓、農耕殖産の道を教え、五穀豊穣を願い、郷里にちなみ、心のよりどころとしてここに高部屋の社を建て、祖神の高彦根命をお祭りしたものと思われます。 加茂族の中心地葛城は、稲作に大変好適地であったばかりでなく、国内各地に至る交通の要衝になっていたのであります。 葛城には、高鴨神社、鴨都波神社、一言主神社、御歳神社、高天彦神社など加茂族ゆかりの古い名神大社があり、高鴨神社や高彦根命を始めとして、高天、高丘、高宮、高市など「高」の字のつく神名や地名が多く目立つところから、ご祭神にちなみ当地を「高森」と名づけたものと考えられます。 高森神社は、明治初年までは高部屋神社とも称されましたが、棟木に高部屋神社と書いてあることと、鳥居脇の石碑にもそのように刻まれていることなどの物証もあります。 明治初年、神仏分離令のおり、神社名を高森神社と改称されたと伝えられています。 延喜式にある高部屋神社は、おそらくこの社のことを指しているものと思われます。 [社殿] 古い言い伝えによると、本殿は、高梨家の先祖が、戦国時代の末期に改築したが、その後に焼失したため、享保元年に現本殿が建られたものであります。 また旧幣殿、拝殿、神饌所についてはあまりにも老朽、雨漏り腐食がひどく、危険であったため、昭和53年5月15日に氏子ならびに神社役員の協力により改築竣工したものであります。 [御神徳] 弥生中期、水稲耕作が始った頃、加茂族の首長高彦根命は、事代主神と共に国づくりに大変活躍されました。 神話においては国譲りに際し、謙譲の精神をもって接した御神徳の高い御祭神であります。 農耕にあたっては、鉄器をもちいて新しい殖産を始め、日本国土づくりの神として尊崇を受けたのであります。 平和の神、家内安全、五穀豊穣の神として、また縁結びにわたる御神徳は、今後高森の氏子ならび崇敬者の人びとの心に深く刻まれることを信じます。 |
神社・お寺情報 | 延喜式内社(論社) 平成21年2月3日 不審火により社殿並びに末社八坂神社が全焼した。 再建後、八坂神社を合祀した。 |
例祭日 | 4月第2日曜日 |
神紋・寺紋 | 左三つ巴 |
更新情報 | 【
最終
更新者】やおかみ 【 最終 更新日時】2023/04/26 20:35:46 |