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基本情報
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住所 |
群馬県太田市徳川町甲373 |
五畿八道 令制国 |
東山道 上野 |
アクセス |
東武伊勢崎線世良田 徒歩29分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0276-52-1856 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
薬師如来 |
宗派 |
天台宗 |
創建・建立 |
大同元年(806年) |
由来 |
医王山和光院永徳寺は天台宗の寺で本尊は薬師如来である。寺伝によると平安初期大同元年(806年)に最澄の弟子宥海により創建され、関東最初の天台三道場の一つであった。
建久3年(1192)、徳川氏の祖 新田義季が徳川郷に居館を構えると、薬師如来を深く信仰し当寺を祈願所とした。天正19年(1591)には、徳川家康が将軍家発祥の地として、徳川郷450石すべてを朱印地とし、年貢課役免除・守護不入の特権が認められた際、永徳寺も50石の朱印地を拝領した。
寛永年間、天海僧正が世良田の長楽寺を再興し、当寺を天台宗に改宗した際には、永徳寺が長楽寺の末寺百余ヶ寺の筆頭とされ、長楽寺における灌頂(かんじょう)の教授役を代々永徳寺の住職が勤めることが定められた。
永徳寺は、江戸時代の元禄、宝永など度々利根川の洪水にあって、寺地を何度か移転し、更に文化14年(1817)には火災によって堂宇(堂の建物)尽く焼失し、長楽寺は円雄を住職として派遣し再建にあたらせた。円雄は、文政6年(1823)に寺社奉行より本堂再建助成のため、上野、武蔵二ヶ国の寄付をつのる許可を得て、弘化2年(1845)に本堂・庫裡・諸堂・築地石垣等の造営を行った。
かつて境内にあって徳川家康を祀った権現堂は、大正13年(1924)に徳川東照宮の拝殿として移されています。明治41年には、徳川河岸にあった船頭の守本尊とされてきた不動様のお堂を移築した。 |
神社・お寺情報 |
堂内には市文化財指定の杉戸絵53枚(86面)が正田家三十代正田隼人により描かれている。
境内には、四季折々の花が咲き、特に春にはさつきの花が色あざやかに咲き乱れ、別名「さつき寺」と言われている。 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
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最終
更新者】優雅
【
最終
更新日時】2021/01/31 02:18:31
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