2.7
瑠璃光山浄光院福生寺
埼玉県熊谷市日向1154
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みんなの参拝記録
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(zx14rさん)
おすすめ度:
★
0
 4
参拝日:2025年11月15日 12:00
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(thonglor17さん)
おすすめ度:
★★★★
0
 49
参拝日:2023年5月6日 07:10
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(はっちゃんさん)
おすすめ度:
★★★
0
 159
参拝日:2020年3月22日 09:26
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基本情報
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| 住所 |
埼玉県熊谷市日向1154 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
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| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
0485882464 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御本尊 |
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| 宗派 |
高野山真言宗 |
| 創建・建立 |
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| 由来 |
新編武藏風土記稿
幡羅郡日向村
福生寺 古義眞言宗上野國邑樂郡赤岩村光恩寺末瑠璃光山淨光院ト號ス開山專祐寬永十八年十一月廿九日示寂本尊大日ヲ安セリ 藥師堂
境内碑
改築記念碑
瑠璃光山福生寺本堂改築記念碑
高野山真言宗
大僧正 歓喜院 鈴木英海 題額書
夫れ一塵は大岳を崇くし一滴廣海を深する所以は同心協力に有り 抑当山は永承七年(九一二年前)開闢せられ其の後幾多の災害により荒廃し元和六年(三四四年前)第一世専祐和尚により再開山せられ 元禄十一年(二六六年前)第四世清俊和尚により庫裡を建立す 寛政五年(一七一年前)第九世中興法印慶山和尚により庫裡を建替し文化十一年(一五〇年前)本堂再建せられたり 後累代先師高徳により寺観を調へ信心倍増に勤め私塾を開き大勢の筆子の養成に盡くす 当地方は往時より水害に苦しめられ就中明治四十三年の大洪水は遂に本堂床上三尺を浸すに至り諸建物大破損に及ぶ 昭和二十七年一月庫裡客殿が破損甚しきため庫裡一棟に改築する 永い間修理を加えて来た本堂藁屋根は崩れ柱は傾き荒廃その極に達したり 之を憂へ当時壇徒總代區長檀徒有力者発起者となり昭和三十三年九月檀徒一同協議一決改築を断行すべく改築委員会を設け本堂改築の基礎を作れり 其の間良く和衷協同継続すること四年機熟し昭和三十七年三月一日改築工事に着工す こゝに於て委員各職檀徒各位の逞しき精進努力は結實し同年六月二日上棟八月瓦葺屋根改築全く成り 同年十月十三日本堂落慶の嚴儀を奉修す 誠に今日の輪奐現前を得檀信帰依の根本道場たることを得たり正に生ずる所の功徳万却にして廣からん 爰に相謀り碑を建て各偉功を顯彰し以て不朽に傳う
昭和三十九年十二月吉自日建焉
瑠璃光山福生寺 第十二世 西村良遍撰文
芝香書
境内碑
御本尊修理完成記念
御本尊併びに脇佛尊像修理記念碑
高野山傳燈大阿闍梨
歓喜院院主 鈴木英全題額書
敬て真言教主大日如来両部界会諸尊聖衆盡空法界一切三宝の境界に謹んで記す
夫れ當山は 九四九年前に開創せられし名刹にて七堂伽藍近世に栄ゆ 然れども先代良遍和尚が入山せし時は 八十有余年間の無住にて諸堂は朽ちて荒廃せり
先代和尚は篤く大師を敬い再興を誓願す 激動の時代にて 梵鐘の供出 農地解放等ありて苦難多かりしも檀家を教化し 寺林の開墾 庫裡の新築 本堂の改築 薬師堂山門等の修理事業を完遂し 更に墓地拡張整理に着手す かくて當山中興せり 小衲先代和尚の浄行と意志を継ぎ 新たに金胎両界曼荼羅を奉祀し 墓地整理を完遂せり 次いで大梵鐘の新鋳 修行大師尊像の建立 山門の新築 庫裡の増築をなし 堂内に檀家の永代供養位牌 平和観音尊像 阿閦如来尊像を奉安せり 境内になで佛尊像 六地蔵尊像を建立し表参道は石畳とす
此以て 當山修復事業は成満す 記念に十三層塔を建立し檀信徒等と祖山へ参拝し 奥之院弘法大師御廟前に此の浄行を奉告す 法灯護持することを得て法悦極まれり 次いで本堂の天井と御内陣を大改修す 而も住職に平成十年本山僧正参籠の法縁あり 是等全てを縁とし御本尊修理の機運熟し 平成十一年から三か年計画の浄行を誓願す
茲に 當山の至宝 本尊大日如来 阿弥陀如来 宗祖弘法大師 不動明王の尊像四体及び各尊御厨子を修理し完成す 鳴呼 尊いかな御本尊修理の浄願の功徳 之れ偏に壇越各家の深甚ななる浄信の到せし処なり
仰ぎ願くは 我等が報恩謝徳の微志を納受し法益を垂れ給へ 乃至法界 平等利益 仍て茲に寺門の興隆 檀信徒等各家の繁栄を祈り 偉功を後裔に伝えんとす
福壽増長 諸願圓満 伽藍安穏 興隆密教 家内安全 聖霊菩薩 世界平和 衆正法楽
平成十四年十一月吉日建焉
瑠璃光山浄光院福生寺第十三世
権少僧正西村良範合掌敬白 |
| 神社・お寺情報 |
二十二夜待供養 宝暦十四甲申年三月吉祥日(1764)
境内碑
大梵鐘再鋳記念
金胎曼荼羅福壽の鐘再鋳併びに修行大師尊像建立記念碑
高野山真言宗宗会議員
歓喜院 院主 鈴木英全 題額書
夫れ梵鐘は、一打の梵音にて衆生の五大願を成就し、一聴の妙音にて過去聖霊の成三菩提を増す如来の法器なり。當山の梵鐘は福生寺中興俊荘代、檀徒三枝新右衛門により享保二年五月一日に寄進されし什物にして、周囲に四佛の種子と光明真言を鋳せし真言の銘鐘なり。然るに、太平洋戦争軍需物資として昭和十七年十二月廿日止むなく供出し、以来梵音絶えて四十有余年を経たり。熟々昭和の時代を惟るに、戦前の侵略政策は衆生を地獄界に堕せしめ、戦後の平和外交は極楽を築き空前の豊溢を齋せり。時あたかも弘法大使御入定一一五〇年御遠忌にあたり、小衲、檀信徒と祖山に参拝し、高祖弘法大師御廟前に崇祖の証として大梵鐘の再鋳復元を誓願せり。檀信徒有志即時にこれに呼応し、篤い浄財を寄せり。昭和年号の還暦を慶祝し世界の平和と密厳国土の建設を祈念し、昭和六十一年四月三日二二三貫の大梵鐘を再鋳する事を得たり。直径八十八糎、米壽の鐘なり。依って、金胎曼荼羅福壽の鐘と銘す。同年五月十一日に本尊大日如来の宝前に謹しんで再献す。
大梵鐘再鋳記念、併せて當山第十二世良遍和尚追善供養菩提の為に、修行大師尊像を建立し、同年十一月廿九日、大梵鐘再鋳、修行大師尊像の落慶の厳儀を奉修せり。嗚呼、尊いかな梵鐘の功徳、有り難きかな本尊大日如来の御利益、仰ぐべきは高祖弘法大師なり。正に生するところの功徳万劫にして広からん。茲に碑を建て浄財寄進者の偉功を顕彰し以って後裔に伝えんとす。
一打鐘聲 當願衆生 福壽増長 伽藍安穏 興隆密教 家内安全 聖霊菩提 世界平和 衆生豊楽
昭和六十三年三月吉日建焉
瑠璃光山浄光院福生寺 第十三世 西村良範合掌敬白 |
| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】zx14r
【
最終
更新日時】2025/11/15 11:59:55
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