みんなの御朱印
(sugijun04 さん)
![]() |
|
(ぺがさすさん)
![]() |
|
(ひろたかさん)
![]() |
|
三社参りの御朱印も頂きました。
(布袋大国さん) ![]() |
|
(きんちゃんさん)
![]() |
|
(ショーJさん)
![]() |
|
丹生川上神社三社参り
(BREITLINGさん) ![]() |
|
37-16
(BREITLINGさん) ![]() |
|
(恭子さん)
![]() |
|
(村長さん)
![]() |
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの動画
(はまちゃんさん)
日付:2023年10月12日 11:07 |
|
(はまちゃんさん)
日付:2023年10月12日 11:05 |
自分の動画
まだ動画が登録されていません
みんなの参拝記録
![]() |
|
![]() |
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 奈良県吉野郡川上村大字迫869-1 |
五畿八道 令制国 |
畿内 大和 |
アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0746(52)0733 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://web1.kcn.jp/niukawakamijinja-kamisha/index.html |
御祭神 | 高龗神 大山祇神 大雷神 |
創建・建立 | 不詳 |
旧社格 | 官幣大社 |
由来 | 丹生川上の地は、日本書紀神武天皇即位前紀戊午年九月甲子の条に、「厳瓮(いつへ)を造作(つく)りて、丹生の川上に陟(のぼ)りて、用(も)て天神地祇を祭りたまふ」と記されており、上古より祭祀を行う聖域であったことが知られます。 天武天皇の御代白鳳四年(675)、「人の声聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬(いつ)き祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」という神宣により、御社殿が建立、奉祀されました。 当社は明治初年まで「高龗神社」という小規模な祠であり、由緒も不詳であったが、発掘調査によって祭壇跡などが発見され、祭祀空間としての機能を持っていた可能性が示唆された。 明治6年(1873年)に郷社に列したが、当時の官幣大社丹生川上神社(現在の下社)少宮司江藤正澄が、下社の鎮座地は寛平7年(895年)の太政官符(『類聚三代格』所収)に記す丹生川上神社の四至境域に合致しないことを指摘して当神社を式内丹生川上神社に比定し、翌明治7年には当神社を下社所轄の神社とするとともに、下社を「口の宮」、当神社を「奥の宮」と称した。その後江藤説が認められて、明治29年(1896年)に「口の宮」を「丹生川上下社」、当神社を「同上社」と改称し、2社を合わせて「官幣大社丹生川上神社」となった。 |
神社・お寺情報 | 別表神社。名神大社「丹生川上神社」の論社。 旧境内地が大滝ダムの建設に伴い水没することになったため、伊勢神宮旧社殿の古材を用い平成10年に造営された。なお、旧社殿は大正6年(1917年)の造築にかかるもので、飛鳥坐神社(高市郡明日香村)に移築され、同神社の本殿などとなっている。 |
例祭日 | 10月8日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】神祇伯 【 最終 更新日時】2018/09/26 21:04:29 |