3.7
三富山 多福寺
(たふくじ)
埼玉県入間郡三芳町上富1542
みんなの御朱印
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(ひでパパさん)
 33
御朱印日:2025年6月13日 00:00
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(まっきーさん)
 100
御朱印日:2021年5月2日 13:15
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みんなの参拝記録
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(はるあすとーちゃんさん)
おすすめ度:
0
 93
参拝日:2021年11月28日 09:50
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(達也さん)
おすすめ度:
★★★★
0
 136
参拝日:2021年5月22日 15:30
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(まっきーさん)
おすすめ度:
★★★★
0
 102
参拝日:2021年5月2日 13:15
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(たくちゃんさん)
おすすめ度:
★★★
0
 115
参拝日:2021年2月25日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 |
埼玉県入間郡三芳町上富1542 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
東武東上本線ふじみ野 徒歩49分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
0492580837 |
| FAX番号 |
0492597626 |
| 公式サイトURL |
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| 御本尊 |
釈迦如来 |
| 宗派 |
臨済宗妙心寺派 |
| 創建・建立 |
元禄9年(1696) |
| 由来 |
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| 神社・お寺情報 |
関東百八地蔵・第8番札所
境内掲示板
埼玉県指定有形文化財(工芸品)
多福寺銅鐘
全高 一九〇・〇センチ
口径 一〇一・〇センチ
所在地 埼玉県入間郡三芳町大字上富一五四二番地
指定 昭和三九年三月二七日
この銅鐘は、三富新田の開発を推進した柳沢出羽守吉保(のちの松平美濃守吉保)の家臣曽根権太夫貞刻が多福寺に寄進したもので、作者は江戸の鋳物師椎名伊予守藤原良寛である。元禄九年(一六九六)八月に完成した銅鐘は、多福寺に奉納され、同月六日に釣鐘供養が行われた。三富新田開拓の様子を書き記した「武蔵野古来訳之事」によると、この供養では多福寺の開山洞天和尚が最初に鐘をつき、続いて二世虎峰和尚が、三番目に曽根権太夫が鐘をついたことが知られる。
銅鐘には、「三富山多福禅寺鐘銘并序」と題される銘文が刻み込まれている。銘文の前半は曽根権太夫が書いたもので、自分が三富開拓に尽力したいきさつ、多福寺建立の意味づけが、後半は多福寺の開山洞天和尚が書いたもので、柳沢吉保の功績、銅鐘鋳造の経緯などが記されており、歴史資料としでも重要なものといえる。
多福寺銅鐘は、江戸時代元禄期に多くみられる均整のとれた優美な姿をみせ、開拓当時のおもかげを残す多福寺境内にあって、その歴史とともに貴重なものである。
平成元年三月
埼玉県教育委員会
三芳町教育委員会
境内掲示板
元祿の井戸
元祿の井戸とは、上富に、元祿時代(一六八八~一七〇三)に掘られた井戸のことである。当時、川越城主であった、柳沢美濃守吉保が、重臣であった曽根権太夫貞刻に命じて、三富 (上富、 中富、下富)の開拓をおこなった。
開拓の時、一番大きな問題とされたのが、飲用水であったという。そこで、柳沢吉保は、上富地区に四ヶ所の井戸を掘ったが、完全には水は出ず、真夏の時などは、竹間沢村の下を流れる柳瀬川などから、水を桶に入れて運び、それで生活していたことも幾度もあったという。
現在、当時に掘られた井戸で、今日も残されているものとしては、多福寺境内にあるのみで、ほとんどが、くずれたり、うめたりして見られなくなってしまった。
多福寺の井戸は、当時”甘露水”と呼ばれ、人々ののどをうるおした。 |
| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2026/01/24 20:38:13
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