2.8
清流山長念寺
(ちょうねんじ)
埼玉県飯能市白子260
みんなの御朱印
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(SUPRAさん)
23
御朱印日:2024年1月8日 10:55
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(SUPRAさん)
29
御朱印日:2024年1月8日 10:55
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(SUPRAさん)
30
御朱印日:2024年1月8日 10:55
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(地獄耳さん)
28
御朱印日:2023年5月18日 00:00
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(ひでパパさん)
24
御朱印日:2022年4月23日 00:00
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(地獄耳さん)
71
御朱印日:2022年1月29日 00:00
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(地獄耳さん)
24
御朱印日:2022年1月29日 00:00
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(ひーさん)
38
御朱印日:2021年5月30日 15:00
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(達也さん)
20
御朱印日:2021年4月4日 14:45
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(しろぎすさん)
4
御朱印日:2020年11月21日 00:00
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みんなの参拝記録
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(zx14rさん)
おすすめ度:
★
0
2
参拝日:2025年2月1日 12:48
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(SUPRAさん)
おすすめ度:
★★★★
0
26
参拝日:2024年1月8日 10:55
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(地獄耳さん)
おすすめ度:
★★★★★
0
58
参拝日:2022年1月29日 00:00
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(NGさん)
おすすめ度:
0
26
参拝日:2021年8月25日 00:00
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(ひーさん)
おすすめ度:
0
24
参拝日:2021年5月30日 15:00
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(達也さん)
おすすめ度:
★
0
72
参拝日:2021年4月4日 15:15
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(しろぎすさん)
おすすめ度:
★★★
0
75
参拝日:2020年11月21日 12:00
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(チャチャチャさん)
おすすめ度:
0
69
参拝日:2020年10月25日 13:10
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(さるさん)
おすすめ度:
★★★
0
94
参拝日:2020年10月25日 12:54
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(かっちゃんさん)
おすすめ度:
★
0
74
参拝日:2020年6月19日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県飯能市白子260 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
西武池袋線武蔵横手 徒歩10分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0429782062 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
聖観世音菩薩 |
宗派 |
曹洞宗 |
創建・建立 |
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由来 |
配布物
長念寺清流山と號す、曹洞宗能仁寺末なり蔵する所の古文書によりて考れば古き寺なること知らる。
天正十九年(一五九一)寺領十石の御朱印を賜ふ、本尊観首木の立像長三尺五寸、運慶の作なり、開山能仁寺四世格外玄逸、慶長八年三月廿八日寂す、ここに開山と云るは中興なるべし、寺領のことにつきて大石源左衛門定久、及び北条氏照のあたへし文書二通を蔵す、その文左のごとし、
(文書1)長念寺々領之土貢宛之候訖可納候、於向後不可致難澁候、門前之者共も寺家へ能能可走廻也、 天文十二年七月朔日 定久の花押
【解説】天文十二年癸卯(一五四三) 七月一日、大石道後、武蔵国長念寺領の年貢収納を保証する。
(文書2)寺領之事如前々可被拘、不可有横合旨被仰出者也、依如件、丙寅正月十三日丙寅は永禄九年なるべし 永禄九年丙寅(一五六六) 白子の内 長念寺
【解説】長念寺は、天文三年(一五三四)には大石道俊から寺領を安堵されており、かつてこの地は大石領であった。この文書は大石家を継承した氏照が、改めて長念寺領を保障したものである。
新編武藏風土記稿
高麗郡白子村
長念寺
淸流山ト號ス 曹洞宗中山村能仁寺末ナリ 藏スル所ノ古文書ニヨリテ考レハ古キ寺ナルコト知ラル 天正十九年寺領十石ノ御朱印ヲ賜フ 本尊觀音首木ノ立像長三尺五寸運慶ノ作ナリ 開山能仁寺四世格外玄逸慶長八年三月廿八日寂ス コヽニ開山ト云ルハ中興ナルヘシ 寺領ノコトニツキテ大石源左衞門定久及ヒ北條氏邦ノアタヘシ文書二通ヲ藏ス ソノ文左ノコトシ
長念寺々領之土貢無之候屹可納之於向後不可致難澁候門前之者共も寺家へ能能可走廻也
天文十二年七月朔日 定久の花押
寺領之事如前々可被拘不可有橫合旨被仰出者也依如件
丙寅正月十三日 (丙寅ハ元祿九年ナルヘシ)
白子ノ內長念寺
門 本堂 衆寮 觀音堂 木ノ坐像ニテ長一尺五寸 脇立毘沙門韋駄天各木ノ立像長二尺一寸 スヘテ運慶ノ作ナリト云 圓通ノ扁額ヲカク
境内掲示板
長念寺寺暦
長念寺の創建年については、境内から出土した正安元年(一二九九)を最古とする七基の鎌倉時代の板碑から、鎌倉時代末まで遡ることが明らかにされています。
長念寺が最も隆盛するのは、慶派の正統な流れをくむ本尊の聖観音菩薩立像(市指定文化財)や禅宗様式の観音堂本尊の聖観音菩薩坐像(県指定文化財)、さらに長念寺から移築された入間市の高倉寺観音堂(国指定重要文化財)をはじめ、九〇基を超える板碑、一八基を数える宝篋印塔などの貴重な文化財が数多く残されている南北朝から室町時代(一四世紀後半から一五世紀)のことになります。特に、観応三年(一三五二)の武蔵野合戦の後に高麗郡は鎌倉府の直轄地になり、鎌倉公方である足利基氏は九年間にわたり、入間川御陣に在陣していたことと深い関係があると考えられています。その頃、長念寺は足利政権における地域支配の拠点的寺院として重要視されていました。
その後、長念寺に関する記録は一時途絶えますが、八王子滝山城主の大石定久により長念寺が再興され、天文三年(一五三四)には、定久による長念寺の年貢納入を命じた文書(大石定久判物・市指定文化財)が残されています。
また、永禄九年(一五六六)には、北条氏照による寺領安堵の文書(北条氏照印判状・市指定文化財)が残され、長念寺の支配が大石氏から北条氏に代わったことが確認されます。しかし、天正一八年(一五九〇)、北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、同年に新たな支配者として徳川家康が江戸に入府します。その翌年の十一月、長念寺は家康により一〇石の寺領が安堵されました(徳川家康朱印状・市指定文化財)。この時、飯能周辺で家康により最初に交付された朱印状は、高麗・聖天院(一五石)、野田・円照寺(一五石)、岩渕・妙円寺(一三石)などがあり、長念寺には四番目の寺格が与えられました。その後、代々の徳川将軍家により寺領の石高は維持され、現在に至るまでの近世の長念寺が形成されました。
現在の長念寺は、慶長三年(一五九八)能仁寺四世の格外玄逸和尚により再中興され、その時に曹洞宗に宗旨替えになりました。
長念寺は武蔵野三十三観音霊場の二十九番札所になります。
清流山長念寺 |
神社・お寺情報 |
武蔵野三十三観音・第29番札所 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】zx14r
【
最終
更新日時】2025/02/01 12:48:19
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