みんなの御朱印
(ふくまるさん)
5 御朱印日:2025年1月12日 16:30 |
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(ホリ・テイラーさん)
7 御朱印日:2024年12月25日 15:47 |
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(SUPRAさん)
17 御朱印日:2024年12月3日 10:10 |
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(たけさん)
17 御朱印日:2024年11月14日 13:15 |
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(ぶんじさん)
16 御朱印日:2024年10月10日 10:18 |
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(SUPRAさん)
7 御朱印日:2024年10月3日 13:55 |
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書き入れでいただきました
(たかしさん) 13 御朱印日:2024年7月30日 00:00 |
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(ひらちゃんさん)
13 御朱印日:2024年7月24日 15:10 |
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(グレートデンスケさん)
45 御朱印日:2024年5月5日 00:00 |
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(はちさん)
48 御朱印日:2024年1月28日 00:00 |
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住所 | 静岡県熱海市西山町43-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 伊豆 |
アクセス | JR伊東線来宮 徒歩3分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0557-82-2241 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://kinomiya.or.jp/top/setsumassha.html |
御祭神 | 弁財天 |
創建・建立 | 文政7年(西暦1824年)頃 |
旧社格 | |
由来 | 開運出世 弁財天のいわれ
安永3年8月(1774年9月)江戸に住いして大久保将監という徳川家武臣は自分の立身出世の為、奥州の金華山にもあらたかな弁財天が鎮座されていると聞き、はるばるこの弁財天をめざして供侍一人を連れて江戸を立出でました。 千里の道を遠しとせず、漸く金華山に着き江戸からはるばる奥州路を下って祈願に来た由を当社の別当に告げるや別当は大いに将監殿熱意にほだされ神を拝する種々の修法を授けられました。 それより将監殿は21日間の水をとり熱心に祈願をこめられ最後の満願の日になると滝壺から宝殊の石が現れました。 その霊体には「軍を破る七つの星」の姿がけんじされていたので別当の言われるまま7ヶ年の間日夜信心これ怠りなく務めたところ宝殊の玉威徳があらわれ諸願が成就し遂には官位豊前の守にまで出世されました。(原文には奇なる哉、妙なる哉と記してあります。) 其の後、天明4年4月(1784年5~6月)滝川殿という武臣は信心常に怠りなく務めたので之又大願成就して不思議にも老中の職にまでも出世されたと古記には記されてあります。 その後、寛政8年9月(1796年10月)先の大久保豊前守は斯様な霊験あらたかな御神体を俗家に安置しておいては恐れ多いというので、秩父霊場(今の秩父神社)へお預けして祀られてあったが文政7年9月(1824年10~11月)に熱海本陣「今井半太夫」の所に東武秩父山八十一翁万国僧庵という人が滞在された時、以上のような話をされたので幕末に於ける世の中は騒然とさわがしく飢饉が続き、また疫病が慢延したのでこれらを鎮める為「熱海郷の役人村民一同が熱海郷の霊場来宮神社の地を卜して安置し永代の鎮守として仰ぎ奉る」と記されてあります。 以後、明治、大正、昭和と時代を経るに当たり遠近よりこの霊験を聞き伝えて祈願に来られる方々が後を絶ちません。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 11月23日 例祭(弁天祭) |
神紋・寺紋 | 三つ鱗 |
更新情報 | 【
最終
更新者】管理者 【 最終 更新日時】2025/01/23 09:28:11 |