みんなの御朱印
七五三もやっていて、某作品目当てに参拝している人は居なかった。
(はりいさん) 2 御朱印日:2024年12月1日 16:30 |
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霜月詣
交通安全
(おにぎり侍さん) 13 御朱印日:2024年11月1日 12:03 |
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(金猿さん)
25 御朱印日:2024年10月24日 00:00 |
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(ひろたかさん)
28 御朱印日:2024年10月12日 00:00 |
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(たきもんさん)
13 御朱印日:2024年9月13日 19:30 |
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(ラナンさん)
29 御朱印日:2024年8月7日 12:00 |
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(miyumikoさん)
19 御朱印日:2024年7月31日 13:10 |
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(miyumikoさん)
54 御朱印日:2024年7月31日 13:10 |
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(ねこひめさん)
16 御朱印日:2024年7月15日 11:26 |
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(ねこひめさん)
36 御朱印日:2024年7月15日 11:26 |
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住所 | 埼玉県久喜市鷲宮1-6-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス | 東武伊勢崎線鷲宮 徒歩5分 |
御朱印授与時間 | 9:00〜16:00 |
電話番号 | 0480-58-0434 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.washinomiyajinja.or.jp/ |
御祭神 | 天穂日命、武夷鳥命、大己貴命 |
創建・建立 | |
旧社格 | |
由来 | 神代の昔に、天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのに始まり、次に天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀した。この別宮が現在の本殿である。
崇神天皇の御世には、太田々根子命が司祭し、豊城入彦命、彦狭島命、御諸別王が、それぞれ幣帛を奉納した。 景行天皇の御世には、日本武尊が当神社の神威を崇め尊み、社殿の造営をし、併せて相殿に武夷鳥宮を奉祀した。 桓武天皇の御世には、征夷大将軍坂上田村麿が、武運長久を祈り奥州鷲の巣に当神社の御分社を奉祀した。 中世以降には、関東の総社また関東鎮護の神として、武将の尊崇が厚く、歴史上有名な武将だけでも藤原秀郷・源義家・源頼朝・源義経・北条時頼・北条貞時・新田義貞・小山義政・足利氏歴代・古河公方・関東管領上杉氏歴代・徳川家康等があげられ、武運長久等を祈る幣帛の奉納や神領の寄進、社殿の造営等がなされた。なかでも江戸時代には、四百石の神領を与えられ、代々の将軍の名で朱印状が残されている。 明治天皇の御世には、神祗官達により准勅祭社に定められ、勅使参向のもと幣帛の奉納がなされた。そして明治天皇行幸の際、当神社に御少憩され、祭祀料として金壱封を賜り、昭和天皇の御世にも、幣帛を賜った。 境内掲示板 鷲宮神社と指定文化財 当社は、天穂日命、武夷鳥命、大己貴命を御祭神としています。 当社の境内地は、縄文時代や古墳時代の住居の跡が見つかっていることから、古くから開かれた場所であったことがわかります。 当社が記された最も古い歴史書として、鎌倉幕府の『吾妻鏡』があり、その記述から源頼朝や執権北条氏からの尊崇を得ていたことが知られています。 その後、室町時代になると下野国守護の小山氏や古河公方足利氏、小田原北条氏などの保護を受け、徳川家康からも四百石の領地を与えられました。 このようなことから、当社は今も多くの文化財を所蔵しています。その主なものを紹介します。 一 太刀 国指定重要文化財(大正三年四月十七日指定) 下野国守護の小山義政が寄進した太刀です。「永和二年卯月十九日 義政」という銘が刻まれています。永和二年は西暦一三七六年。市の郷土資料館に写しを展示しています。 二 鷲宮催馬楽神楽 国指定重要無形民俗文化財(昭和五十一年五月四日指定)関東神楽の源流といわれ、古い様式を残しているといわれています。年六回奉納。現在は、催馬楽神楽保存会によって伝承活動が行われています。 三 寬保治水碑 埼玉県指定史跡(昭和三年三月三十一日指定) 寛保二年(一七四二)の大洪水によって、利根川上流以南の堤の復旧工事に携わった長州藩(毛利家)が、無事に完成したことを感謝して奉納した碑です。 四 銅製双鶴蓬萊文鏡 埼玉県指定有形文化財(昭和三十一年十一月一日指定) 鎌倉時代末期製作の円形の鏡です。双鶴とは、二羽の鶴のことです。蓬萊とは、中国の伝説にでてくる仙人が住むという山のことです。 五 銅製蓬萊文鏡 埼玉県指定有形文化財(昭和三十九年三月二十七日指定) 室町時代製作の円形の鏡です。 六 銅製桐文方鏡 付 沈金彫桐文筥 埼玉県指定有形文化財(昭和三十九年三月二十七日指定) 室町時代末期製作の長方形の鏡です。背面全体に計五十個の桐の文様が並べられています。鏡を納めるための漆器の桐箱も残されています。 七 銅製御正体 埼玉県指定有形文化財(昭和三十九年三月二十七日指定) 二枚の御正体です。御正体は、壁にかけて崇拝の対象とした鏡です。文安二年(一四四五)と長禄二年(一四五八) の年号が刻まれています。 八 鷲宮神社文書 付 棟札一枚 文書三点 埼玉県指定有形文化財(昭和三十九年三月二十七日指定) 室町時代から戦国時代にかけての文書二十三点と棟札一枚・文書三点です。古河公方足利氏や小田原北条氏などから送られたものがあります 九 鷲宮神社関係資料 久喜市指定有形文化財(昭和五十二年九月八日指定) 国・県指定文化財以外の文書・鏡・棟札などの文化財です。徳川家康から拝領した銚子と盃や領地安堵の書状などがあります。 平成二十八年十月一日 鷲宮神社社務所 新編武藏風土記稿 埼玉郡鷲宮村 鷲明神社 當社ハ式內ノ神社ニハアラサレト尤古社ナリ 祭神ハ天穗日命ニテ 大背飯三熊之大人天夷鳥命ヲ合祀ス 日本書紀神代卷ニ曰 素戔嗚尊乃轠轤然解其左髻所纏五百箇統之瓊綸 而瓊響瑲々濯浮於天渟名井囓其瓊端置之左掌而生兒正哉吾勝々速日天忍穗根尊復囓右瓊置之右掌而生兒天穗日命此出雲臣武藏國造土師連等遠祖也ト是ナリ 故ニ土師宮ト號スヘキヲ和訓相近キヲモテ轉シテ鷲明神ト唱ヘ來レリトイヘリ 又羅山文集ニ據ハ當社ニ昔緣起十卷アリテ有間王子良岑安世コヽニ來テ神トナル本地ハ釋迦ナリト記シタレト全ク浮屠ノ妄說ナリト見エタリ 鎭座ノ年歷ハ詳ナラス 東鑑建久四年十一月十八日ノ條ニ武藏國飛脚參申云昨夕當國太田庄鷲宮御寶前血流爲凶怪之由云々則卜筮之處兵革兆云々十九日壬午被奉神馬(鹿毛)於鷲宮又可莊嚴社壇之旨被仰下榛谷四郞重朝爲御使云々又承元三年二月十日甲戌武藏國太田庄鷲宮寶殿鳴動之由馳申之又建長三年四月十三日癸卯相州(按ニ從五位上相模守時賴ヲ指)鷲大明神爲奉幣可遣御使於武藏國之處三嶋之神事也他社御奉幣事 敢可有其憚之由當社神主申仍被讓子細於若宮別當法印之間今日進發云々同月廿二日若宮別當法印自武藏國鷲宮歸參御祈願成就奇瑞不一去十九日於社頭御神樂之砌一之見事託宣尤嚴重殊有其奇怪之由云々又建仁三年十月十四日己酉鶴岡幷二所三嶋日光宇都宮鷲宮野木宮 以下諸社被奉神馬是世上無爲御報賽云々ト載タル鷲宮モ當社ナルヘシ 又今當社內ニ存セル文祿四年ノ棟札ニ正應五年壬辰九月十三日相模守貞時再興應安五年壬子十一月十八日下野守藤原義政再興セシ由記シ 及永和二年ノ義政カ奉納セル神劔文安二年長祿二年ノ銅鏡 足利晴氏以下ノ寄附狀等アルニテモ古社ナル事知ラル 御當代トナリテモ天正十九年先規ノ如ク社領四百石ノ御朱印ヲ賜ヒシヨリ今モ同シ 天下泰平御祈禱トシテ每年三月十日十一日神事アリ 此時神樂催馬樂等ヲ興行ス 又七月七日ニハ近鄕ノ人ツトヒ來リテ賑ヘリト云 古棟札ノ圖右ノ如シ(棟札略) 神寶 劍一振 長五尺二寸幅一寸九分中心一尺五寸七分 銘ナシ 往古ヨリノ神劔ト云傳フ 太刀一振 小山下野守義政カ納メシモノト云 其圖左ノ如シ(圖省略) 寶珠 火取玉 水取玉 鵝腹ノ玉 鹿麁ノ玉 牛黃玉 駒玉 以上七種ノ玉ト稱シテ當社第一ノ神寶トス 鉾一 銅鏡二面 此餘無銘ノ古鏡四面アリ 其內一ハ角ナリ 皆古物ナルコト論ナシ 本社 前ニ幣殿拜殿ヲ建續ク 幣殿ノ額ハ後西院ノ皇女ノ筆也ト云 神崎神社 社傳ニ天穗日命ノ荒魂ヲ祝ヒ祀ル神ノ陵ト云中略ニテ神崎ト號ストイヘリ 本地堂 鷲明神ノ本地佛釋迦ヲ安置ス 座像長三尺 コハ昔右大將賴朝南都招提寺ヘ寄附ノ像ナリシヲ後年故アリテ當所ヘ移シ安置スト云 神樂堂 末社 太神宮 鹿島 素戔嗚尊 姬宮八幡宮若宮八幡香取合社 天王 天神 猿田彥命天鈿女命武內宿彌稻荷淺間駒形軍神御室山王合社 大宮司大內隱岐 家譜ヲ閱ルニ 藤原秀鄕六代ノ孫田原上野介賴定建久年中下野國芳賀郡大內庄ニ住シテヨリ大內氏ヲ稱シ藤原宗綱ニ屬ス コノ宗綱ハ佐野修理大夫ニヤ 大內氏當社ノ神職トナリシハ其初ノ人ヲ詳ニセス 子孫民部太夫大和守彈正少弼ナト云アリ 彈正少弼泰秀ノ時ニ至リ 東照宮奧州會津御陣トシテコノ邊御通行ノ頃忠勤ノ事アルニヨリテ御手自御盃ヲ賜ハリ又御刀御馬及時服蒔繪御銚子等ヲモ賜ヒシカ泰秀ノ子左馬介泰定橫死ノ事アリテ其時御刀ハ失ヒシト云 今ノ隱岐マデ泰秀ヨリ十代相續スレト大宮司ノ稱號ハ正德年中御免アリシトナリ 社人六人神樂役七人巫女二人屬シテ祭祀祈禱等ノ事ヲ勤行セリ 所藏古文書 八通 (以下略) 右ノ文書一通ハ古クコノ家ニ藏ス 何人ヨリ與ヘシト云コトヲ傳ヘス 又文段モ慥ニ讀ヘカラサレト古キモノナレハ姑ク載ス 別當大乘院 新義眞言宗大和國初瀨小池坊末 社領四百石ノ內四十八石ヲ配當シテ所務スト云 鷲山神宮寺ト號ス起立ノ年歷ハ詳ナラサレト 元文ノ頃マテ永仁餘年ノ古鐘當院ニアリシト云傳フ 今ハナシ 其全文ヲ左ニ載ス 奉勤修武州寄東郡太田御庄鷲宮大明神神宮寺之鐘一口永仁太才丙申十一月八日聖人妙阿大願主西願 什物 鷲明神畫像一軸 將軍賴朝ノ畫キシモノト云 衣冠ヲ著タル坐像ニテ上ニ鷲ヲ畫キアリ 元祿年中前住長賢法印ノ持來テ納メシモノナリ 墨色紙ノサマ當時ノモノトハ見エス サレト全ク妄誕ノ說ト見エタリ |
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更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/01/02 12:45:01 |