2.8
赤山日枝神社
(あかやまひえじんじゃ)
埼玉県川口市赤山218
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みんなの参拝記録
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(咲夜さん)
おすすめ度:
★★★
1
16
参拝日:2017年5月7日 00:00
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(ロビンさん)
おすすめ度:
0
1
参拝日:2025年1月13日 10:35
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(ムンクさん)
おすすめ度:
★★
0
29
参拝日:2023年4月29日 10:10
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(thonglor17さん)
おすすめ度:
★★★
0
41
参拝日:2022年10月22日 09:03
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(shikigami_hさん)
おすすめ度:
★★★
0
257
参拝日:2020年3月20日 15:44
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(生臭坊主さん)
おすすめ度:
0
1
参拝日:2018年11月23日 00:00
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(さとちゃん1さん)
おすすめ度:
0
1
参拝日:2017年11月25日 00:00
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(生臭坊主さん)
おすすめ度:
0
1
参拝日:2017年11月23日 00:00
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(しんのすけさん)
おすすめ度:
★★★
0
44
参拝日:2017年4月4日 14:00
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(GYOSHIさん)
おすすめ度:
★★★
0
0
参拝日:2016年10月2日 17:57
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県川口市赤山218 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
埼玉高速鉄道戸塚安行 徒歩14分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-296-1564 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
大山咋神(おおやまくひのかみ) |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
赤山日枝神社 御由緒
□御縁起(歴史)
川口市赤山二一八
寛永年間(一六二四-四四)に関東郡代の三代伊奈忠治が構えた赤山陣屋は、寛政四年(一七九二)、十二代伊奈忠尊が失脚するまで、関八州の貢祖の徴収並びに司法、利根川・荒川の改修、新田開発など土木治水を行う中心的な役所であった。この陣屋は延べ面積二十三万四千坪にも及ぶ広大なもので、この中に当社をはじめ天神社・八幡社・御陣山稲荷社などが祀られていた。当社は、陣屋の東側空堀外の山王町廓の地内にある山王池に面した築山に鎮座する。この築山は、陣屋空堀掘削時の廃土で築いたと伝える。
創建は伊奈氏によるものと考えられ、恐らく江戶城鎮護の日枝神社から分社し、陣屋の守護として祀られたものであろう。『風土記稿』には陣屋廃止後の当社について、「二百年来草創せし地と見ゆ、神体昔は七体ありしが、伊奈氏断絶の時失たりと云、其頃は大橋多門或は川鍋左門など云し神主ありしが、今は領家村神明院の持となれり」とある。ちなみに、神明院は玉林院配下の本山派修験である。
なお、陣屋内にあった八幡社や天神社は現在合祀されて当社境内にある。殊に八幡社は、七代伊奈忠順が建立した宝永四年(一七〇七)十一月の石祠銘文によると、五代伊奈忠常が寛文十三年(一六七三)七月に子孫繁栄のため創建した旨が記されている。 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
赤山陣屋敷址
赤山陣屋は、代官(通称・関東郡代)伊奈氏が江戸幕府の直轄地や知行地を治めるために設けた陣屋の一つで、元和4年(1618)頃伊奈半十郎忠治によって構築されたといわれています。
右図面によれば、陣屋は約77町歩(約77ha)の広さがありました。陣屋の本丸には、表御門・裏御門、御家(屋)形など5棟の建物があり、北側と西側は2重の堀でかこまれていました。外堀には水があり、内堀は空堀で、この内側には土塁が築かれていました。また東側には山王三社と家臣団屋敷、南側・西側にも家臣団屋敷がありました。この屋敷は、堀の内に17、その他に御役屋、門番屋敷などもありました。屋敷規模で一番多かったのは約1町歩(約1ha) 前後のものです。
道は一直線状にのびるのではなく、意図的にずらした食い違い、鈎の手や丁字路、袋小路など防衛上の工夫がみられ、複郭を有する陣屋町を形成していました。社寺には、山王三社といわれる山王社・八幡社・天神社と、伊奈家の菩提寺であった源長寺がありました。
なお伊奈家は、寛政4年(1792)、忠治から数えて10代目の志尊の時、幕府政治の変化と家中の騒動などが原因で改易され、赤山陣屋も廃止されました。このため陣屋の建物は取り壊されて畑地となり、今は空堀と社寺を残すのみとなっています。
令和3年3月31日 川口市教育委員会
境内掲示板
赤山-山王神社界隈の風景
この山王三社は、学問の神である天神社、武家の守護神である八幡社、そして徳川家に縁の深い山王社によって構成されている。三社は往時は、境内に各々鳥居を構え、別棟として建立されていたが、陣屋廃絶後幕末までは荒廃に任せていた。明治になり合祀し、赤山村の村社として祀り現在に至っている。今に残る築山は、空堀掘削時の廃土を盛り、築いたと伝えられている。
現在は、築山と参道を残すのみとなっているが、かつての社域は、参道の先に山王沼新田が広がっており、また、陣屋の守り神として鬼門にすえられた御陣山稲荷とともに、広大な陣屋の中での神域を構成していた。
八幡社は、伊奈家の守り神として赤山伊奈家三代忠常により創建された。宝永四年(1707) 五代忠順は父母の報恩と伊奈家の繁栄とを願い、宮域に松や杉を植えて整備し、安山岩小松石製の石祠を建立した。
「赤山陣屋絵図」の山王三社関係施設周辺をクローズアップしてみると、現在の山王神社社殿の位置が当時のままであることが良くわかる。
さらに現在の地形を重ねてみると、自然低地を巧く利用し山王沼がつくられていたことも読みとることができる。伊奈氏は、この沼で、雨乞いの儀式を行っていたと伝えられている。
境内掲示板
川口市指定有形文化財 歴史資料
八幡宮石祠
昭和52年5月10日指定
伊奈半十郎忠順が宝永四年(1707)十一月忠常の子(第二子)として、父母の報恩と伊奈家の繁栄を願って宮城を整備し、山王社の傍らに建碑した安山岩小松石製の石祠です。祠とは、ほこら・やしろ・みたまやなどの意味であることから、この石製の祠は八幡神のみたまやということになります。
裏面に刻まれた銘文は、次のように読み下すことができます。
「当初の八幡宮は、予(忠順のこと)の祖父忠常(伊奈家五代)が、寛文十三年(1673)七月剏めて建立せし所なり、予はもとより慈母の願望有る故に、宝永四丁亥戴秋九月其の宮境を清めここに松杉を樹し、以て経界と為し再び其の旧制に経営す。尚乎ば神助を以て子孫の繁栄せんことを。領主伊奈源忠順之を誌す。宝永四丁亥年十一月吉辰」
川口市指定有形文化財 建造物
赤山山王権現社本殿 付覆屋・狛犬
平成6年8月18日指定
本殿は、赤漆塗りの一間社流造で、屋根は杮葺です。身舎の規模は、桁行1.667m(五尺五寸)、梁間1.545m(五尺一寸)、向拝の出は1.424m(四尺七寸)を測ります。斗栱、虹梁、木鼻などに禅宗様式の特色が窺える一方、蟇股の曲線や彫刻、虹梁の渦文様、木鼻の巧みな装飾や技法は、江戸時代初期の技法を今に伝えており貴重です。
また、内部からは元禄六年(1693)墨書銘のある木製黒漆塗り金箔押しの狛犬一対が発見されました。本殿の創建時期を知る上で貴重な資料であることから、覆屋と共に付指定されています。
川口市教育委員会
新編武蔵風土記稿
(赤山附持添新田)
山王社 村ノ鎭守ナリ塚ノ如ク築タテシ所ニ社ヲ建コヽハ御林ノ內ニテ木立生茂リ二百年來草創セシ地ト見ユ神體昔ハ七體アリシカ伊奈氏斷絕ノ時失タリト云其頃ハ大橋多門或ハ川鍋左門ナト云シ神主アリシカ今ハ領家村神明院ノ持トナレリ
末社 天神社 八幡社 本社ノ左ニアリコレモ塚ノ如ク高ク築上ケシ所ニシテ社ノ背後ニ高サ三尺四五寸許ノ石槨アリ其故ハ知ラス左ノ銘アリ
當所八幡宮者予祖父忠常寬文十三癸丑年秋七月所剏建立也矣。予固有於慈母願望故。寶永四丁亥戴秋九月淸其宮境樹于松杉。以爲經界。再經營於舊制焉。尙于以神助。子孫繁榮矣。
領主 伊奈源忠順誌之
寶永四丁亥年十一月吉辰
青面金剛 元祿三庚午十月吉日(1690)
聖徳太子供養塔 嘉永七甲寅八月吉日(1854) |
例祭日 |
・歳旦祭(一月一日) ・夏祈祷(五月十五日) ・秋季例祭(お日待ち・十月十四日) |
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】ロビン
【
最終
更新日時】2025/01/13 10:36:00
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