3.0
丹後稲荷神社
(いなりじんじゃ)
埼玉県三郷市早稲田8-17-8
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みんなの参拝記録
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(旅左衛門さん)
おすすめ度:
★★
0
36
参拝日:2022年8月8日 07:29
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(thonglor17さん)
おすすめ度:
★★★★
0
45
参拝日:2022年7月9日 07:31
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(ロビンさん)
おすすめ度:
0
66
参拝日:2021年5月5日 09:51
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(しんのすけさん)
おすすめ度:
★★★
0
31
参拝日:2017年4月1日 11:30
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県三郷市早稲田8-17-8 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス |
JR武蔵野線新三郷 徒歩17分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-952-1401 彦江神社 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示
丹後稲荷神社
1.祭神 宇迦之御魂命(稲倉魂命)
2.造営
1615年 伊原家が氏神として建てる。
1707年 二江半領、丹後村の遠藤与五左ヱ門が、稲荷像を贈る。(今の稲荷像)
1770年 京都伏見稲荷神社より、武州二郷半領丹後村名主あてに手紙が届く。この手紙は今も残っている。(二江半領が二郷半領に字が変わる)
1786年 石の大鳥居を建てる。(今ある鳥居)
1892年 のぼり柱の石柱と、石の清水桶を設置する。(今ある石柱と清水桶)
1897年 現在の本殿を建てる。
3.氏神 その土地で守護神としてまつる神。
4.氏子 その土地の氏神を共同でまつる人々のこと。
現在の、早稲田2・4・5・6・8丁目に住む人々で、参加は自由。
5.祭行事
歳旦祭 1月1日に、その年の氏子の安全をいのる。
初午祭 2月初午の日、豊作をいのる。
お日待祭 10月に行う。豊作を感謝する祭り。
月次祭 毎月1日、米・塩・野菜・果物を供えて、氏子の安全をいのる。
「丹後(たんご)」の名前のおこり
(1) 1590年、豊臣秀吉が小田原(神奈川県)の北条氏を亡ぼす。
(2) 北条氏に味方した小金城(現在の松戸氏)の高城氏が亡び、家来の「伊原丹後」という人が、移り住んで開発した(現在の早稲田6丁目付近)。この人の名前が地名となる。
(3) 江戸時代初めのころ(1600年代)から、人々が移り住み始める。
(4) 明治22年(1889年)4月、早稲田村ができる。(丹後村を含む15の村が合併した)。そのころの丹後村は、137戸、899人が住んでいた。
(5) 昭和31年(1956年)、3つの村(早稲田村・彦成村・東和村)が合併し、三郷村となる。
(6) 昭和39年(1964年) 三郷町、昭和49年(1974年) 三郷市となる。
「早稲田(わせだ)」の名前のおこり
この付近は田んぼが多く、稲の栽培がさかんで、早く稲が取れたことから、「早稲田」の名前が付いたと思われる。道路わきに、「葛飾早稲」の石碑がある。
丹後稲荷神社今昔
1615年(元和元年)創立。1770年(明和7年)公称される。埼玉県神社明細帳より。
1590 天正18年 豊臣秀吉小田原城北条氏を亡ぼす。関東を家康に与える。小田原北条氏に味方した小金城が落城し、家臣四散する。伊原丹後が移住開発し、伊原家の氏神としたのが始まりとされる。
1631 寛永8年 伊奈半十郎の江戸川作場渡しの書付に、丹後新田の地名が出てくる。
1770 明和7年 京都伏見稲荷の分霊を祀った、正一位稲荷大明神安鎮之証書があり、武州葛飾郡二郷半領丹後村、名主宗助殿、氏子総代弥四郎殿、忠右衛門殿とある。本殿内陣に神像三体あり(稲荷神像二体、天神像一体)。その中の稲荷神像の一体の底銘に、二江半領丹後村施主遠藤与五左ヱ門重福宝永四年(1707) 正月二十二日とあり、その台座銘には、弘化四年(1847)十二月吉日流山仏師石井光龍とある。
1786 天明6年 石の大鳥居建立する(正面左側の一本は昭和47年再建修理する)。
1800 寛政12年 本殿外左側にある小祠の中に、右に天照皇大神、左に天満宮(文政4年(1821) とある)の二体の碑がある。
1818 文化15年 燈籠建立する(本殿前の大きい一対)。
1851 嘉永4年 本殿外右側の小詞の中に、稲荷大明神、山崎氏の碑一体ある。
1872 明治5年 丹後村村社となる。旧瓦葺建物村役場に使用される、築年不明。
1890 明治23年 神社本殿のまわりの土盛をする。
1892 明治25年 のぼり柱を建立するための石の土台柱建を設置する。石製の清水桶奉納
設置する。
1897 明治30年 奥の院に総欅造り神殿を、斎藤与惣治氏奉納する。同年の棟札有り。
1906 明治39年 日露戦争記念碑建立する。
1911 明治44年 神殿本殿茅葺き屋根替えする。
1915 大正4年 斎藤育三郎氏6畝1歩、小島伊助氏1畝、神社用地として寄付する。
1917 大正6年 村内六社合祀を記念し、稲荷神社記念碑建立する。石柱の村社稲荷神社
記念碑も建立する。
1927 昭和2年 棟札あり。
1936 昭和11年 のぼり旗新調する(長さ10m、幅1m)。
1956 昭和31年 敷地内建物で保育園開園。
1957 昭和32年 神殿本殿茅葺き屋根替えする。
1962 昭和37年 葛飾早稲の記念碑建立する(昭和36年9月1日県指定を受ける)。
1968 昭和43年 公民館落成する。84名の寄付。
1972 昭和47年 本殿屋根瓦葺きに替える。現在使用ののぼり旗新調する(長さ6m、幅60cm)。本殿両脇きつね像建立する。
1979 昭和54年 本殿前の清水桶に屋根を新設し、のぼり小屋修理する。440,600円。
1982 昭和57年 神楽殿修理。神社所在地表示、早稲田8丁目17番地8とする(土地区画整理法の換地による)。
1989 平成元年 斎藤精一氏斎藤喜雄氏、共有地8-17-10・11・12、447m2を寄付する。
1992 平成4年 南門新設する。伏見稲荷からの正一位稲荷大明神の神札を表装する。
1993 平成5年 本殿外回りの塗装する。300,000円。
1997 平成9年 南側にアルミフェンス新設する。370,000円。
境内の記念碑等について
・基本、一等水準点、建設省国土地理院(葛飾早稲の碑の隣り)。
・耕地整理記念碑、昭和15年11月、早稲田村三区耕地整理。
・日露戦役記念碑、希典書、明治4丁未年4月。
・慰霊碑、昭和30年3月、第二次世界大戦。
丹後稲荷神社
1.祭神と歴史
宇迦之御魂命(稲倉魂命)、他四柱(大己貴命。太田命。大宮姫命。保食命)の神を祀ってある。
元和元年(1615年)二月創立。明和七年(1770年)九月公称と記されている。明治5年(1872年)丹後村村社となり明治43年から大正元年に旧早稲田村内にあった諸社六社を合祀、早稲田村村社となる。(現在六社とも旧地に戻っている)(埼玉県神社明細帳より)
京都伏見稲荷大社を本社として、その御分霊をこの地に祀ったといわれ、「正一位稲荷大明神」という神札と、「正一位稲荷大明神安鎮之事、明和七年(1770年)九月吉日、武州葛飾郡二郷半領、丹後村、名主宗助殿、氏子代彌四郎殿、忠右ェ門殿」と記された証書が有る。
内陣には、神像三体(稲荷神像二体、天神像一体)が安置されており、一体の稲荷神像には、その神像底銘に「二江半領、丹後村、施主、遠藤与五左ヱ門重福、宝永四年(1707年)正月二十二日」、またその台座底銘に「弘化四年(1847年)十二月吉日、流山仏師、石井光龍」と記されている。
本殿内に、明治三十年(1897年)十一月、昭和二年(1927年)二月と記された二枚の棟札が有り、このことから、現社殿は明治以降のものと思われる。 神社氏子区域は、早稲田 2.4.5.6.8丁目を中心とする旧丹後地域の大半である。
氏子の間の口碑によると、当社は、氏子の伊原氏の先祖がこの地を開発して邸を構えた際に、その表鬼門に氏神として創建した社であったが、村が大きくなるにつれて、いつしか村人が鎮守として奉斎するに至ったといわれる。
この鎮座地の旧地名である丹後は、村を開いた伊原丹後(慶長年間 1600年頃) の名に由来し、寛永八年(1631年)の伊奈半十郎の書付けに「丹後新田」とあり、当時、小谷堀、後谷と共に前間村に属していた。(新編武蔵風土記稿)
2.当社の信仰と御利益
商売繁盛、家内安全、交通安全、火災・災難除け、子孫繁栄等を祈る(鈴木宮司)祭事は、月次祭、新年祭、初午祭、お日待祭がある。
(1) 歳旦祭(さいたんさい)
一月一日、その年一年間の氏子の家内安全、他を祈願する。
(2) 初午祭
和銅四年(711年)京都伏見稲荷大社の伏見山のふもとで祈願祭をしたのが始まりという。二月初午の日、五穀豊穣を祈願する祭りであったが、現在は祭典と直会だけである。昔は社有田の収穫米を使って年番が甘酒を造り、早朝より参詣者に振舞ったものである。
(3)お日待祭
毎年十月、収穫を感謝する祭りで、昔は神楽の奉奏(神楽殿)も有り、氏子が、神前に初穂を納め、年番がこの米を売却して神社の年間運営費としたが、戦後は年番が参列するだけの祭典となり、現在は初穂の代わりに金納(寄付金)の形となる。
(4)月次祭(つきなみさい)
毎月一日、神官が出仕し、神饌(しんせん)として、洗米、食塩少々、魚、野菜、果物若干をお供え、氏子の家内安全、交通安全他を祈る。 |
神社・お寺情報 |
御神燈 文化十五戊寅年(1818)
境內碑
合祀紀念
明治の大御代 御叡慮いと深く在しき○○の○○神社の制度と
も整はせて益々國家の宗祀たるの圓を擧げ○の給○む〇〇三十九年
敕令第貳百廿號にて掟て給ひし 大御心は政道の爲め誠に畏きみと
○なむなりける故其 御舍を禮○○御氏子の諸人の同じ心に語り合し
て〇記の松々の御神靈を〇御社に合せ祀りて彌神祇崇敬の意を興〇
○とて公に願出たるや大正元年八月十六日もて御許しを得たり○○式
の〇々合祀の事をも仕奉りて余〇〇○後永く崇敬の誠を捧げ奉らむと
○の記念にとてかくを〇し
早稻田村大字丹後村社稻荷神社
大字前間 村社 稻荷神社
同 從谷 仝 同社
同 小谷堀 仝 同社
同 田中新田仝 同社
字 出川組 仝 同社
同 行人橋組仝 同社
大正六年拾壹月廿三日
官幣大社氷川神社主典正八位磯部重作八十翁撰并謹書
新編武藏風土記稿
葛飾郡丹後村
稻荷社二 何モ庵アリテ守ル 庵ノ本尊ハ彌陀ナリ 光福院ノ持 |
例祭日 |
10月第2日曜 お日待ち祭 |
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
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最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/01/08 18:11:31
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