みんなの御朱印
(32hiroさん)
![]() |
|
(おがおが1262さん)
![]() |
|
(Uzさん)
![]() |
|
(Uzさん)
![]() |
|
(みやごんさん)
![]() |
|
(よっしーさん)
![]() |
|
(ckさん)
![]() |
|
(rn3019さん)
![]() |
|
(やまけんさん)
![]() |
|
関東三十六不動第三十番
(忍さん) ![]() |
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
みんなの参拝記録
![]() |
|
![]() |
|
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 埼玉県加須市不動岡2-9-18 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 東武伊勢崎線加須 徒歩20分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0480610031 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.souganji.com/ |
御本尊 | 不動明王 |
宗派 | 真言宗智山派 |
創建・建立 | 1616年(元和2年) |
由来 | 境内掲示板
不動ヶ岡不動尊総願寺の由来 仁和二年(八八六年)秋、第五十八代光孝天皇は重い病にかかられ、どんな名医、妙薬 も少しも効目がなく、日に日に御重態になられるはかりであった。そこで三井寺の開山、智證大師(弘法大師の甥)が、みことのりにより病気平癒を不動明王に御祈願申し上げたところ、たちどころに病気がなおられたので天皇は大師に不動明王の御尊像を刻ませ、同年冬、宮中の仁寿殿で開眼供養し、紫宸殿に安置して歴代天皇の守り本尊とされた。ある時、宮中の役人が明王の宝剣を持ち出して自分のものにしようとしたので明王を御守護申し上げていた堂守は、ある夜ひそかに明王を背負って生まれ故郷の吉見領へ逃れ仮堂を建てて安置した。 長暦三年(一三一九年)大洪水があり、付近一帯は泥海と化し御尊像はその流れの中を 漂い、この地へおつきになられた。里人達は御尊像の尊さに一同ひれふして、明王をおまつりし当時岡村と言われていた地名を不動ケ岡と変えた。 その後元和二年(一六一六年)に高野山の総願上人がこの地に来られ不動明王の御霊験 を賛えて玉嶹山総領寺を建立し、明王を御守護申し上げた。 以来今日まで不動明王を尊崇して参詣する善男善女の数多く、関東三大不動明王の随一 として、信仰を集めている。 昭和五十五年三月 加須市 新編武藏風土記稿 埼玉郡不動岡村 不動堂 本尊不動ハ坐像二尺五寸餘矜迦羅制枳迦モ二尺餘共ニ智證大師ノ作又弘法大師ノ作ト云緣起ニ云此像古ヘ洪水ノ折カラ當村ノ南ヲ流ルヽ會ノ川ノ岸ニ流レヨリシヲ尋常ノ作物ニ非ストテ土人取上ケ堂宇ヲ經營シテ當所ニ安置セリコレ長曆年中ノコトヽモ又承曆年中ノコトヽモイヘリ夫ヨリ村名ノ改リシト云コトハ前ニ辨セリ是ヨリ遙ノ後永祿ノ頃爭戰ノ地トナリ堂宇殆ト荒廢セシヲ御當代ニ至テ再造アリシナト云事ヲ緣起ニノセタレト全文ハ後世ニナリタルモノニテ前後首尾トヽノハサルコト多ケレハ其アラマシヲ記セリ此外ニモ附會ノ話アレトウキタルコトナレハ悉クニハトラス 別當總願寺 新義眞言宗上羽生村正覺院末玉嶋山ト號ス開山宥智承應四年ニ寂ス本尊大日 寺寶劔一振 長サ三尺二寸幅ハ柄ノ所ニテ一寸先ニテハ一寸一分程無二無三ノ四字ヲ彫レリ羽生城主木戶伊豆守忠朝ノ奉納セシモノナリト云 |
神社・お寺情報 | 関東三十六不動・第30番札所
加須市指定有形文化財 總願寺不動堂 昭和五二年六月指定 總願寺不動堂は、江戸時代の天保年間に建てられた加須市における代表的な木造建築物である。桁行五間、梁間五間の市内では数少ない大規模な江戸時代の社寺建造物である。 設計・建築は、羽生市川俣の三村正利であり三村家は、羽生で代々宮大工を受け継い できた家柄で、明治二五(一八九二)年に八八歳でなくなるまで数多くの社寺建築に携わった 。 三村家に伝わる不動堂の側面図は、羽生市の指定文化財になっている。 主な建築物としては市内三俣の龍藏寺本堂(加須市指定文化財)、群馬県板倉町の雷 電神社本社(群馬県指定文化財)が知られている。 平成二四年三月 加須市教育委員会 加須市指定有形文化財 黒門 昭和三五年九月八日 指定 この黒門は、忍城の北谷門を移築したものである。忍城は文明年間(一四六九~八六)に築城され明治六年(一八六八)に取り壊されるまでの約四百年間続いた。 黒門は、行田から熊谷に抜ける県道工事を請け負った不動岡在住の土木請負師田村重兵衛に払い下げられ、重兵衛が日頃信仰する總願寺に寄進したものである。黒門は、総欅造りで、門扉は一枚板からできている。門扉上部の欄間の構造が忍城主松平氏の菩提寺である桃林寺本堂の欄間と同様であることから天保一三年(一八四二)の建造と伝えられる。忍城の現存建造物としては高麗門(行田市)とこの黒門のみである。 平成一七年三月 加須市教育委員会 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2023/05/28 17:37:51 |