3.8
八幡神社(尾浜八幡神社)
(はちまんじんじゃ(おはまはちまんじんじゃ))
兵庫県尼崎市尾浜町1-4-27
みんなの御朱印
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(ととるしさん)
 4
御朱印日:2025年9月24日 12:48
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(さばおさん)
 15
御朱印日:2025年6月15日 05:58
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(みっちゃんさん)
 18
御朱印日:2025年5月28日 00:00
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(ふじきのさん)
 13
御朱印日:2025年4月4日 19:58
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(k-koさん)
 125
御朱印日:2021年4月10日 11:00
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(mariitさん)
 38
御朱印日:2020年8月5日 21:03
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(ブゥ~ニィさん)
 40
御朱印日:2019年12月14日 13:36
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(すみれさん)
 33
御朱印日:2019年11月9日 14:02
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(里さん)
 24
御朱印日:2019年10月20日 00:00
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(いねむりさん)
 23
御朱印日:2019年5月26日 13:30
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みんなの参拝記録
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(たろささん)
おすすめ度:
★★★★★
1
 49
参拝日:2017年9月5日 00:00
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(ととるしさん)
おすすめ度:
★★★
0
 2
参拝日:2025年9月24日 12:48
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(yutiaさん)
おすすめ度:
★★★
0
 34
参拝日:2025年7月11日 17:55
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(さばおさん)
おすすめ度:
0
 17
参拝日:2025年6月15日 02:21
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(みっちゃんさん)
おすすめ度:
★★★★★
0
 18
参拝日:2025年5月28日 00:00
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(ふじきのさん)
おすすめ度:
0
 2
参拝日:2025年4月4日 19:58
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(k-koさん)
おすすめ度:
★★★★
0
 82
参拝日:2021年4月10日 11:00
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(まこちゃんさん)
おすすめ度:
0
 22
参拝日:2021年1月31日 00:00
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(ショーンさん)
おすすめ度:
0
 23
参拝日:2021年1月30日 16:17
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(ブゥ~ニィさん)
おすすめ度:
0
 89
参拝日:2019年12月14日 13:36
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
兵庫県尼崎市尾浜町1-4-27 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
アクセス |
◆JR東海道本線「立花駅」より東へ1600m ◆JR東海道本線「尼崎駅」より市バス阪急武庫之荘行き乗車、「尾浜町1丁目バス停」下車 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
06-6427-7755 |
FAX番号 |
06-6427-7790 |
公式サイトURL |
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御祭神 |
応神天皇(おうじんてんのう) |
創建・建立 |
不詳 |
旧社格 |
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由来 |
創立年不詳。
尾浜の歴史と共に古くから存在し、天正年間(1573〜1592年)の荒木村重滅亡時の戦火に罹ったのではないかと考えられる。
昭和20年(1945年)の戦災以前は境内に八幡造りの社殿と古風な大日堂があって神仏混淆時代の名残りを留めており、真夏でも涼しい鎮守の森であった。
神社境内東北の一隅にある宝筐院塔が明月姫の墓、又は塔と云われているもので、摂陽群談に「国春塔尾濱村大日堂境内にあり或は亦明月姫の塔とも云えり・・・」とあり、又摂津名所図絵にも「明月姫の塔尾濱村大日堂にあり、此寺は明月姫の菩堤所也」とある。 |
神社・お寺情報 |
名月姫の誕生 平安時代の後期、人望の厚い尾浜周辺の領主であった三松刑部在衛門尉国治は、人徳・才能に優れ、家門も繁栄していましたが、40歳を過ぎても子どもに恵まれませんでした。
あるとき鞍馬山にこもって大日如来に願掛けをしたところ、夢に多聞天様が出てきて、京都の大日如来像を買い求めて祈れば女の子を一人授けると伝えました。、国治夫妻はそのようにし、懸命に祈願するとその翌年、久安2年8月15日に美しい女の子が生まれました。
中秋の名月の日(旧暦8月15日)に生まれましたので、その子は「名月姫」と名付けられました。 悲劇の始まり 名月姫は利発でたいそう美しく、信心深く親孝行な娘と成長しました。
その美しさは楊貴妃にも勝ると言われ、近隣諸国にその名は知れ渡っていきました。
あるとき、丹波国能勢小川庄(現在の大阪府豊能郡豊能町あたり)の蔵人・家包(いえかね)が野遊びの際に美しい姫を見かけ、当時14歳だった姫を妻にと連れ去ってしまいました。
母はたいそう嘆き、その嘆きの中で亡くなってしまいました。
父・国治もまた悲嘆に暮れ、あちこちと姫を探して回りましたが、その行方は知れず、悲観のあまり出家し、諸国行脚をすることとなりました。 平清盛の都づくり その頃、時の権力者である平清盛が神戸の福原に都づくりを計画しており、埋め立てがうまくいかないため、そこに30人の人柱を立てることとしました。
各関所を設け、旅人を捕まえて人柱とすることにしたのです。
折悪く西国行脚の途中だった国治は、その人柱の一人として兵庫で捕えられてしまいました。 必死の嘆願 同じ頃、能勢で家包と夫婦となっていた名月姫の夢枕に、大日如来が老人の姿で現れ、国治が人柱として捕まったことを知らせました。
夫婦は急いで兵庫に駆け付け、姫は父の代わりに自分を人柱とするよう清盛に願い出ます。
国治もまた娘を人柱にして死なせるわけにはいかないと必死の嘆願。
清盛の寵童であった松王丸がその姿を見、父娘の恩愛の情に感じ入り、また多数の命を犠牲とすることの悲しみを訴え、自分ひとりが人柱となることを願いました。
そして松王丸は一人海へ身を投じ、国治・名月姫の父娘は助かったのです。 尾浜への帰還 涙の再会のあと親子は尾浜へ帰り、伽藍を建立し、名月姫誕生の際にお告げをされた大日如来、毘沙門天、弁財天の三像を祀りました。さらに名月姫は夫・家包の死後は尾浜に大日堂を建立し、亡き夫や父の菩提寺としました。 また名月姫自身もここへ庵居したと伝えられています。
大日堂は戦争によりなくなってしまいましたが、境内の宝篋印塔(ほうきょういんとう)は名月姫の墓、または記念塔であると伝えられています。 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
左三つ巴
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更新情報 |
【
最終
更新者】ととるし
【
最終
更新日時】2025/09/25 00:23:36
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