3.0
天満神社(田並)
(てんまんじんじゃ)
和歌山県東牟婁郡串本町田並5番地
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みんなの参拝記録
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(きいちさん)
おすすめ度:
★★★
0
37
参拝日:2020年1月11日 11:30
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基本情報
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住所 |
和歌山県東牟婁郡串本町田並5番地 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
アクセス |
JR紀勢本線田並 徒歩12分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0735-62-1561 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
(主祭神)菅原道真 大峰神 矢倉大神 大山咋命 (配祀神)加具土命 金山彦命 事代主命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
社伝によると応永十六(一四〇九)年六月二十五日坂成新九郎時信所有の梅ヶ谷に玉石が多く集まりしところに天満宮を創建して坂成家の鎮守として祭祀したという。 江戸時代は、田並の上下二ヵ村の氏神として崇敬された。明治初(一八六八)年天満神社と改称、明治六年四月村社となる。同十年六月村内の小社に祀られる神(矢倉大神・大峰神・大山咋命)を合祀し本殿相殿とした。同二十四年十一月社殿・拝殿災難にあう。同四十年四月神饌幣帛料供進社に指定される。翌四十一年九月一村一社の神社合祀から村内の神社(圦ノロの金刀比羅神社、円光寺前の事代主神社、半助平見の秋葉神社、楠ノ地の弁財天神社)四社を合祀して境内社とした。大正三年二月会計法適用社に指定される。また、当社では特殊祭典五十年毎に執り行われる。(例祭)当社の祭典の見ものは、六本の大幟と神輿の渡御で近郊から参拝者も多く、露店の屋台が並び賑わいを見せる。宵宮祭は午後八時半、各区より氏子達が高張提灯を手に神社に参集し、獅子舞連中も宮入りをし神前に獅子神楽を奉納する。舞曲は、幣の舞、寝獅子、剣の舞、花掛り、扇の舞である。例祭日は神輿をかつぐ者十六人が早朝神社に集まり、それから海で禊をして宮入りをする。神輿持ちは、以前は抽選であったが最近になり各区からの推薦者になっている。獅子舞連中も、子供神輿(小学四年以上で男女に別れて樽神輿をかつぐ)も祭典時刻に合わせて宮入りをする。またこの日の見ものである約一〇mもある田並天満宮と染めぬかれた大幟五本と、虎の絵を染めあげている虎幟一本もそれぞれの地区より宮入りをする。神前にて獅子神楽奉納のうちに例祭を斎行し、午前十時御旅所への渡御する。 渡御の列順は子供神輿・大幟・虎幟・神輿・屋台(獅子)となり約九十名が供奉する。この渡御は、祭神菅原道真公の太宰府流罪をかたどったものとされ、旅衣装の十六人の若者にかつがれた神輿が旅に出るが、道真公を敬慕する住民らが大幟を立て行列を阻止する。大幟は、それぞれ上から三方に張られた三本のロープで支える者と、持ち方二人の五人に捧持され、田並海岸までの道中を神輿と押しつ戻しつもみ合いを繰り返しながら練り進む。御旅所の田並海岸では、潮垢離に海中に入った神輿が上陸しようとするのを阻む大幟の若者達と押し合い、組み合い、しぶきを散らして気勢を上げ、祭りは最高潮に達する。やがて神輿の着輿をまって、獅子神楽が奉納され御旅所神事を斎行し還幸となる。渡御の列の宮入りが終えると、本殿に再度獅子神楽が奉納され、還幸祭を斎行し、午後五時例祭を終了する。 祭礼委員会の発足(昭和五十年)、構成、区長五人、宮総代十一人、各地区代表(三四人)十七人、その他青年獅子等の代表若干名。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
9月25日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】管理者
【
最終
更新日時】2013/02/01 00:00:00
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