みんなの御朱印
(かつちゃん2さん)
31 御朱印日:2024年9月20日 00:00 |
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(ぼくさん)
20 御朱印日:2024年6月17日 00:00 |
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(まかだまさん)
109 御朱印日:2023年11月22日 13:40 |
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(光妃さん)
76 御朱印日:2023年8月6日 13:00 |
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(なまむぎさん)
92 御朱印日:2022年4月3日 00:00 |
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(新居浜太郎さん)
82 御朱印日:2022年3月29日 10:25 |
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総門にて拝観料と一緒に
(まっきーさん) 118 御朱印日:2021年5月2日 14:15 |
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(Aikuさん)
78 御朱印日:2020年8月4日 00:00 |
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(達也さん)
47 御朱印日:2020年7月8日 09:00 |
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(やまけんさん)
16 御朱印日:2020年3月15日 00:00 |
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住所 | 埼玉県新座市野火止3-1-1 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス | JR武蔵野線新座 徒歩19分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0484771234 |
FAX番号 | 0484771542 |
公式サイトURL | www.heirinji.or.jp/ |
御本尊 | 釈迦如来 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建・建立 | 永和元年(1375) |
由来 | [ 平林寺の創建 ] 金鳳山平林寺は、永和元年(1375)、およそ 650年ほど前の南北朝時代、武蔵国埼玉郡、 現在のさいたま市岩槻区に創建されました。 開基は、禅に深く帰依していた大田備州守春 桂蘊沢居士、開山には鎌倉建長寺住持で、書 や偈頌に優れていた高僧、石室善玖禅師が迎 えられました。 [ 命名の由来 ] 金鳳山と名付けられた山号は、かつて石室禅 師が元に渡って修行した、金陵の鳳台山保寧 寺に由来しています。 [ 鉄山禅師と家康 ] 戦国時代に下り、関東一円は豊臣秀吉による 小田原征伐の戦禍を受けます。岩槻にあった 平林寺も多くの伽藍を失い、塔頭の一つ聨芳 軒が辛うじて焼け残った。 そこへ、関東に領地替えとなった徳川家康が 鷹狩りに訪れます。途中、家康は休息のため に、聨芳軒に立ち寄りました。軒主から平林 寺の由緒を聞いた家康は、平林寺の再興を約 束、復興資金と土地を寄進します。更に家康 は、かつて駿河臨済宗にて共に学び、臨済禅 を代表する傑僧となっていた、鉄山宗純禅師 を平林寺住持として招聘した。 天正二十年(1592)、平林寺の中興はここに 果たされ、平林寺は建長寺派、大徳寺派の系 譜を経て、妙心寺派としての新たな歴史を刻 んでいる。 [ 中興開基・大河内松平家 ] 家康の関東入部に際し、家臣として三河国か ら共に上京した大河内秀綱は、平林寺の大檀 那となって山門や仏殿の再建を行なった。秀 綱の孫で、松平家の養子となった松平伊豆守 信綱も徳川家に仕え、第三代将軍家光、第四 代将軍家綱のもとで幕府老中を務めた。 また、信綱は大河内松平家を興し、秀綱をは じめ、その祖母寿参尼、実父大河内久綱、養 父松平正綱らを平林寺に篤く弔いました。一 族は代々に渡って大河内松平家廟所で供養さ れ、今日に至るまで、平林寺が同家の菩提寺 となっている。 [ 水と林の恵み ] 岩槻にあった平林寺は、寛文三年(1663)、 信綱の遺命によって野火止に移転されます。 この地には、信綱が開削した玉川上水から分 水された野火止用水が流れ、平林寺にも平林 寺堀が引かれました。 水の利を得た地域一帯は、新田開発が進むと 共に、人々の暮らしを支える雑木林が形成さ れた。 [ 修行道場野開設 ] 禅宗僧侶の修行道場である平林僧堂は、明治 三十六年(1903)に開かれました。本山を京 都に置く妙心寺派の僧堂は、関西には既に多 くありましたが、平林僧堂は名古屋以東に開 設された初めての僧堂となりました。以来、 関東を代表する妙心寺派の僧堂として、全国 各地から集まった僧侶が修行に励んでいる。 ー 平林寺HPより抜粋 ー |
神社・お寺情報 | ● 文化財・寺宝 ・総門(県文) ・山門(県文) ・仏殿(県文) ・中門(県文) ・松平信綱墓(県文) 他 境内林 (国の天然記念物) |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】まっきー 【 最終 更新日時】2021/05/02 18:45:20 |