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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 山口県周南市遠石2丁目3番1号 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 周防 |
アクセス | JR岩徳線櫛ヶ浜 徒歩14分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0834-32-8888 |
FAX番号 | 0834-32-2182 |
公式サイトURL | http://toishi.co.jp/hachiman/ |
御祭神 | 応神天皇(おうじんてんのう)
〔誉田別尊 ほんだわけみこと〕 神功皇后(じんぐうこうごう) 〔息長帯比売命 おきながたらしひめのみこと〕 三女神(さんじょしん) 〔田心姫命 たごりひめのみこと〕 〔多伎津姫命 たぎつひめのみこと〕 〔市杵島姫命 いちきしまひめのみこと〕 |
創建・建立 | 和銅元年(西暦708年) |
旧社格 | 県社 |
由来 | 飛鳥時代の推古天皇30年(622年)、宇佐八幡大神が姿を現わされたとき、祝部の末岡直彦が神のお告げをきき、この地に奉斎する。
その後飛鳥時代の和銅元年(708年)、末岡太郎麿が社殿を造営したのが当社の創建である。 平安時代からこの付近一帯は石清水八幡宮領となり、「八幡遠石別宮」と称されるようになった。 平安時代末の源平の戦乱には、源範頼の軍がこの地で戦い、流矢が当ったとの鐘銘の残る洪鐘が現存している。 また鎌倉時代の元暦2年(1185年)には、源義経の参詣もあったという。 この時代より南北朝時代にかけて、武士の不法もあったが、幕府の保護により、社領48町余、社坊12寺、祢宜12家を擁して、本朝四所八幡の一つに数えられるほどの規模となった。 しかし安土桃山時代の天正年間(1573〜1592年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、そのほとんどが徴禄となった。 また戦国時代の天文2年(1533年)に社殿が災焼して再建され、永録3年(1560年)には、毛利輝元によって社殿が造営されている。 江戸時代となり、萩本藩から徳山藩が分離以後は、歴代徳山藩主の産土神として代々の藩主から崇敬され、営繕及び祭典等の諸費用の総てを藩費にて支弁されていた。 また、当時の祭礼はたいへんな賑わいを見せ、大芝居・小芝居の小屋が常設される際には、臨時番所が設けられるほどで、宮前は門前町として栄えた。 明治6年(1873年)、社格の制により県社となり、同9年(1876年)には社殿が造営されている。 また昭和11年(1936年)には火災にて社殿が炎上し、同14年(1939年)に再建されたのが現社殿である。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 9月15日 秋季例大祭 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】管理者 【 最終 更新日時】2022/12/06 13:59:28 |