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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 広島県廿日市市大野5357 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 安芸 |
アクセス | JR山陽本線大野浦 徒歩18分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0829-55-0378 |
FAX番号 | 0829-55-0513 |
公式サイトURL | http://www.ogashira.jp/ |
御祭神 | 大山祇命(おおやまづみのみこと)
国常立命(くにのとこたちのみこと) 佐伯鞍職命(さえきくらもとのみこと・嚴 島神社初代神職) |
創建・建立 | 推古11年(西暦603年) |
旧社格 | |
由来 | 【頒布-リーフレット】名勝 妹背の滝 鎮座
大頭神社 御祭神 大山祇命、国常立命 佐伯鞍職命(嚴島神社初代神 職) 例祭 10月第4日曜日 (旧例祭日旧暦9月28日) 本殿 三間社流造、檜皮葺 (間口4間、奥行3間) 昭和56年(1981)再建 付属社殿 幣殿(10坪)、拝殿(15坪) 神楽殿(60坪) ※幣殿、拝殿は木造重層建築。 木造重層建築の神社は、富士の 浅間大社とともに他に例のない 建築様式である。 御供所(10坪)、社務所(24 坪)、参集殿(37.5坪) 鳥居2基 境内地 750坪 境外地 6,000坪 摂末社 報国神社(英霊四百六十四神) 境外社 大田社(御祭神 酓隹山祇命 鎮 座地 廿日市市大野塩屋) 三槍社(御祭神 葉山祇命 鎮座 地 廿日市市大野宮有谷) 椎宮神社(御祭神 中山祇命 鎮 座地 廿日市市大野中山) 原神社(御祭神 奥山祇命 鎮座 地 大竹市栗谷町奥谷尻) 伝承 『芸藩通志』によると、大頭神 社の末社である中山大歳社(椎 宮神社)、塩屋山祇社(太田神 社)、奥谷尻河内社(原社)、 宮有谷三鎗社(三鎗神社)は大 頭分身の神と伝えられている。 『日本書紀』一書によると、伊 邪那岐命が火之迦具土神を斬り 給う時、その首が大山祇命、身 中が中山祇命(椎宮神社)、手 が麓山祇命(三鎗社)、腰が正 勝山祇命、足が酓隹山祇命(大 田社)また腹が奥山祇(原神 社)と化したといい、首、即ち 頭より成った大山祇を祀るため 当神社を大頭神社と称し、また 四末社は他の部分より成った神 を祀るための分身と伝えられて いる。 由緒 嚴島神社の摂社として推古天皇 11年(603)に創祀されたと伝 え、古くは嚴島兼帯七社の一と された。 もと郷桑原に鎮座したが、大正 2年(1913)に現在地に遷座 した。 楽音寺蔵「安芸国神明帳」に佐 西郡二位五前として大頭明神と ある古社である。 正安2年(1300)「伊都岐島 社未造殿舎造営料言上状」に 「大頭社一宇三間一面、同戎殿 一間一面、同拝殿一間一面、庁 屋五間一面、御供屋三間、鳥居 一基」と記されており、鎌倉時 代には既に多くの社殿が建ち並 んでいたことが知られる。 また、平清盛の頃より毎年米53 石余りを奉納されていたと伝え 、毛利元就公の時に23石、福島 正則公の時に16石、江戸時代に 至るも12石の社領米を有してい た。 寛永14年(1637)再建の棟札を 蔵す。 特殊神事 [四鳥(シチョウ)の別れ]旧暦9月28日 に斎行。 嚴島の神烏(ゴガラス)四羽が飛来 し、御烏喰式(オトグイシキ)(神烏に お供えをする儀式)を行っ後、 親烏2羽は紀州熊野に帰り、子 烏2羽は嚴島の弥山に残って、 次の1年間の祭りを享ける。 これにより大野は古くから別鴉 郷(ベツアノサト)と呼ばれた。 |
神社・お寺情報 | 名勝 妹背の滝のそばです。 |
例祭日 | 10月第4日曜日 例祭 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】龍太郎 【 最終 更新日時】2019/10/25 00:22:35 |