みんなの御朱印
(爆走御朱印野郎さん)
6 御朱印日:2024年11月7日 00:00 |
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(爆走御朱印野郎さん)
6 御朱印日:2024年11月7日 00:00 |
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(かもねぎさん)
16 御朱印日:2024年8月14日 19:47 |
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(thonglor17さん)
10 御朱印日:2024年4月27日 14:15 |
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重要文化財の仁王門の茅葺の感じから雰囲気まんてんの古刹。
本堂上の鏡天井も素晴らしい。
(ヤマさん) 13 御朱印日:2023年12月14日 00:00 |
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(れおんママさん)
26 御朱印日:2023年11月14日 10:50 |
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(じんちゃんさん)
144 御朱印日:2023年10月22日 00:00 |
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(忍さん)
121 御朱印日:2023年10月21日 16:00 |
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(よっちやん3さん)
33 御朱印日:2023年10月2日 00:00 |
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(かつちゃん2さん)
10 御朱印日:2023年10月2日 00:00 |
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住所 | 千葉県成田市滑川1196 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス | JR成田線滑河 徒歩15分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0476-96-0217 |
FAX番号 | 0476-96-1148 |
公式サイトURL | http://namegawakannon.jp |
御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
宗派 | 天台宗 |
創建・建立 | 承和5年(838年) |
由来 | 滑河山龍正院は、坂東三十三観音霊場の第二十八番札所にして、利根川の本流足下に洗い、西北遥かに筑波の秀峰を望む水と緑豊かな田園にかこまれた霊地である。
ご本尊は御丈一寸二分の十一面観世音で、後に定朝作の一丈二尺の観音像の胎内に納められ、通称滑河観音の名で世に知られている。 仁明天皇の承和5年(838)の草創、慈覚大師の開基と伝えられる。 この年の5月、当地方は時ならぬ冷害にみまわれ、為に穀物は実らず人々は飢えに横たわるものが続出する有様であった。城主将治公はこの悲嘆を見聞され、金銭五穀を施し、更に観世音を念じられて法華経の読誦をなされたところ、結願の日に「朝日姫」と名乗る少女があらわれ、「汝の願いごとかなうべし」と小田川辺に案内して忽然と姿を消した。 河中を見ると、一人の老僧が船を浮かべ、衣を網になしてひいたと思うや、小さな観音像をすくいあげて将治公に与え、「この渕より湧く水をなめよ」と教え去った。 そのお告げのとおりにし、尊像を奉持し堂宇を建てお祀りすると、気候も回復し、五穀も実り人々は蘇生の思いをしたという。 境内掲示板 滑河山縁起 滑河山龍正院は坂東二十八番の札所にして仁明天皇の承和五年(約千五百四十年前)慈覚大師の開基。御本尊は十一面観世音菩薩。城主小田将治が凶害に苦しむ民百姓を救うため七日間の法華経読誦の満願の日に小田川の朝日ヶ渕より御出現され当地におまつりしたところ人々は蘇生の思いをしたと云う。鎌倉幕府により坂東礼所観音に定められた。 花山天皇御製 音にきく滑河寺の 朝日ヶ渕 あみ衣にてすくふなりけり 仁王門・国指定重要文化財 室町時代建立 本 堂・県指定文化財 元禄十年再建 |
神社・お寺情報 | 札所:板東三十三観音・第28番
しもふさ七福神「毘沙門天」 ご詠歌:おとにきく なめかわてらの けさがふち あみころもにて すくふなりけり 境内掲示板 龍正院銅造宝篋印塔附銅造棟札1枚 千葉県指定有形文化財(建造物) 昭和54年3月2日指定 宝篋印塔は、4段の切石積の基壇上に置かれ、総高 4.970 メートル、最下段の基壇1辺は 3.370 メートル、銅製台座の1辺は 1.468 メートルで、地表面よりの高さは1.460メートルである。 軸部は、四隅の丸柱に四段の長押をしている。柱上の組物は、出組形式とし、拳鼻を付けており、組物間中備に蟇股を付けている。軒は二軒疎棰としている。屋根は方形造瓦棒葺形式で、頂部に露盤・相輪を備えている。四面は、桟唐戸両開き様式としている。 本塔は、建築的様式を用いて精巧に作られ、美術的価値の高いものである。 製作年代・作者は、銅造棟札により享保3年(1718) 4月5日、江戸神田鍛治町の住人小幡内匠によって鋳造されたことがわかる。 また、台座の格狭間部分には造営費を寄進した人々の名が多数刻まれていることは、庶民の信仰が盛んであったことが知られている。 令和5年3月 千葉県教育委員会・成田市教育委員会 境内掲示板 龍正院本堂一棟 附厨子1基 千葉県指定有形文化財 (建造物) 昭和40年4月27日指定 本堂は、柱間が五間四方で、一重、屋根入母屋造銅板瓦棒葺の大規模な仏堂である。 四周に高欄付の切目縁を廻らし、正面に五級の木階を設えている。正面には、間口の広い一間の向拝を付けている。 平面は、正面寄二間を外陣、続く背面寄二間を内陣と脇陣とし、背面一間を後陣としている。正面三間は開放となっており、自由に外陣に出入り出来る。内外陣境は格子戸を建て込んで結界している。内陣背面中央間は須弥壇を設け、壇上に大きな厨子を置いている。 柱は太い丸柱で、貫、 長押、柱頭の台輪で軸部を固めている。柱上の組物は三手先と呼ぶ形式で、椀状の斗を三列分柱筋より外へ持ち出して丸桁を支えている。組物間には彫刻を施した蟇股が付く。軒は地棰と飛檐棰から成る二軒で、配りは間隔密な本繁棰である。先端を木負、茅負で繋いでいる。屋根両側面三角部の妻飾りは、大小二重の虹梁間に蟇股が付く形式で、軒先には破風板、懸魚が付く。外陣天井は、中央を鏡板張りとし、龍と迦陵頻伽の絵を描き、その外側三方を化粧屋根裏としている。内陣天井は、 格縁天井とし、格板に絵を描いている。 建立年代は、 棟札写および修理時の発見部材墨書等により元禄11年(1698) に完成したと伝わる。 この本堂は、県内に残る数少ない江戸時代中期の大規模な密教本堂として極めて重要な建物である。 令和5年3月 千葉県教育委員会・成田市教育委員会 境内掲示板 夫婦松と芭蕉句碑 成田市指定文化財(名勝) 昭和62年4月21日指定 芭蕉100回忌を記念して寛政5年(1793)に作られた「観音のいらか見やりつ華の雲」という句碑とともに、永く保護されてきたアカマツです。句自体は東京の浅草にある 観音様を詠んだものですが、当寺にも通じるものがあります。優れた枝ぶりで、当地を代表する名勝として親しまれています。 令和5年3月 成田市教育委員会 境内碑 阿彌陀堂新築記念碑 坂東二十八番滑河山龍正院は慈覚大師の開基以来法灯綿々として千百五十年を迎えた。その間法運のおもむくところ幾多の盛衰を重ねて来たが、第二次世界大戦敗戦後の混乱期における書院、常念佛堂の解体、内佛殿庫裡の焼失、本堂始め境内諸堂の雨漏り荒廃等はその最たるものであった。住職、檀信徒はこれらの本格的再興を念じて、本堂、仁王門並びに諸堂の大修理、整備事業を推進して来た。時あたかも開基千百五十年の勝録を記念して、阿彌陀堂兼客殿の新築を発願、佛天の加護のもと檀信徒の総力を結集し、坂東札所霊場にふさわしい御堂が昭和六十三年に落慶した。続いて本堂東西両側の屋根葺き替え、地蔵堂の改築、主篋印塔の解体修理も平成四年五月をもって完成したことを附記して記念とする。滋に寄進者の芳名を刻して感謝の意を表す。 平成四年十一月吉日 龍正院第二十一世 僧正孝泉 |
例祭日 | 元旦:元旦護摩供 1月8日:初仁王注連縄奉納 2月3日:節分会 8月9日:四万八千日 11月18日:木まち |
神紋・寺紋 | 万字紋 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/04/29 05:06:28 |