奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2 中宮寺の写真1
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2 中宮寺の写真2
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2 中宮寺の写真3
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2 中宮寺の写真4
 3.8

中宮寺  (ちゅうぐうじ)


奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2

みんなの御朱印

(トップガンさん)
9 御朱印日:2025年8月6日 00:00
(いけさん)
11 御朱印日:2025年5月5日 13:38
(ななめコロッケさん)
15 御朱印日:2025年2月1日 00:00
(たこやきさん)
24 御朱印日:2025年2月1日 00:00
(ひくさん)
18 御朱印日:2024年12月30日 10:20
(Aikuさん)
20 御朱印日:2024年11月21日 00:00
(らっぴーHさん)
93 御朱印日:2024年11月4日 00:00
(まささんさん)
46 御朱印日:2024年10月28日 00:00
(山ちゃん195さん)
25 御朱印日:2024年10月6日 11:00
(山ちゃん195さん)
6 御朱印日:2024年10月6日 11:00

自分の御朱印

まだ御朱印が登録されていません

みんなの動画

自分の動画

まだ動画が登録されていません

みんなの参拝記録

(布袋大国さん)
おすすめ度: ★★★★
3 170 参拝日:2018年7月30日 00:00
拝観料600円
(たこやきさん)
おすすめ度: ★★★★
2 28 参拝日:2025年2月1日 00:00
法隆寺夢殿を左に行くと入り口が有ります。 御朱印も拝観入り口で預けてお参りすると帰りにいただけます。
(銀玉鉄砲さん)
おすすめ度: ★★★★
2 182 参拝日:2019年12月29日 10:31
(もそもそ🤗さん)
おすすめ度: ★★★
1 28 参拝日:2021年3月29日 00:00
中宮寺は聖徳太子の御母穴穂部間人皇后の御願によって、太子の宮居斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建された寺であります。その旧地は、現中宮寺の東方三丁の所に土壇として残っておりましたのを、発掘調査しましたところ、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式配置伽藍であったことが確認され、それは丁度法隆寺旧地若草伽藍が四天王式であるのに応ずるものといえましょう。而もその出土古瓦から、法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺として初めから計画されたものと思われます。国宝菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)はその金堂の本尊であり、天寿国曼荼羅は、その講堂本尊薬師如来像の背面に奉安されたものと伝えております。  その後、平安時代には寺運衰退して、僅かに草堂一宇を残して本尊様のみ居ますといった状態でありましたのを、鎌倉時代に入って信如比丘尼の尽力により、天寿国曼荼羅を法隆寺法蔵内に発見して中宮寺に取り戻すなど、いくらか復興を見たものの、往時の盛大には比すべくもありませんでした。室町時代のことは殆ど判りません。  ところが、戦国時代に入って火災に会い、法隆寺東院の山内子院に避難し、そのまま住み着いていたところ、後伏見天皇八世の皇孫尊智女王(慶長七年薨)が御住職遊ばされ、以来尼門跡として、次第に寺観を整えたのが今の中宮寺であります。  宗派は戦後、法隆寺を総本山とする聖徳宗に合流することになりましたが、依然大和三門跡尼寺の随一としてその伝統を伝えております。  創建の飛鳥時代このかた千三百年の長きに亘り、尼寺の法燈を続けておるのは日本広しと言えども実に中宮寺だけであります。
(おおきっちゃんさん)
おすすめ度: ★★★★★
1 179 参拝日:2018年7月30日 00:00
(とまさんさん)
おすすめ度:
1 2 参拝日:2018年2月6日 00:00
(トップガンさん)
おすすめ度: ★★★★★
0 0 参拝日:2025年8月6日 00:00
御本尊の半跏思惟像
(さなだーまんさん)
おすすめ度: ★★★★
0 0 参拝日:2025年5月11日 23:30
(いけさん)
おすすめ度: ★★★★
0 8 参拝日:2025年5月5日 13:45
(PLUTONIANさん)
おすすめ度:
0 11 参拝日:2025年5月3日 00:00

自分の参拝記録

まだ参拝記録が登録されていません

基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
五畿八道
令制国
畿内 大和
アクセス JR大和路線法隆寺 徒歩18分
御朱印授与時間 9時〜16時15分(季節により変更有り)
電話番号 0745752106
FAX番号 0745742956
公式サイトURL www.chuguji.jp/
御本尊 (伝)如意輪観音
宗派 聖徳宗
創建・建立 7世紀前半 or 推古天皇十五年(607)
由来 [ 中宮寺の沿革 ]

中宮寺は聖徳太子の母穴穂部間人皇后の御願によって、太子の宮居斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建された寺である。
その旧寺地は、東方三丁ほどのところにあったとされ、発掘調査の結果、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式伽藍配置であったことが確認された。また、その出土古瓦から、法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺として初めから計画されたものと思われる。国宝菩薩半跏像(伝 如意輪観音)はその金堂の本尊であり、天寿国曼荼羅は
その講堂本尊薬師如来像の背面に奉安されたものと伝えられている。

平安時代には寺運衰退し、僅かに草堂一宇を残して本尊のみといった状態であったが、鎌倉時代に入って信如比丘尼の尽力により、天寿国曼荼羅を法隆寺宝蔵内に発見して中宮寺に取り戻すなど、復興は見たものの、往時の盛大さには比べようもなかった。

戦国時代に入って火災にあい、法隆寺東院の山内子院に避難し、旧地への再建ならず、その状態が続いていたが、後伏見天皇八世の皇孫尊智女王を住職に迎え、以来尼門跡として、次第に寺観を整えたのが今の中宮寺である。

宗派は戦後、法隆寺を総本山とする聖徳宗に合流しましたが、大和三門跡尼寺の随一として、
その伝統を伝えている。

ー 「中宮寺拝観のしおり」より抜粋 ー
神社・お寺情報 ● 文化財(寺宝)
・木造菩薩半跏像(国宝)
・天寿国繡帳残闕(国宝)
・紙製文珠菩薩立像(重文)
・紙本墨書瑜伽師地論(重文)
その他
例祭日
神紋・寺紋
更新情報 【 最終 更新者】よっしぃ
【 最終 更新日時】2022/04/16 14:49:49
 
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々はこちらよりお気軽にご相談ください。

近くの神社・お寺

近くのお城

このエントリーをはてなブックマークに追加 フォローする

通報

※「情報が異なる」「迷惑情報」を発見された方は、通報するを押してください。

神社・お寺検索

※は必須です
 
 
*
*

 
 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら

サイト内全検索

最近検索された神社・お寺

恵比寿神社(一葉稲荷神社境内社)  愛宕大神  地黄町 地蔵堂  稲荷社  国王社  金刀比羅神社  中村新町稲荷神社  賽の河原地蔵尊  無量山 明照院 善光寺  伊弉諾神社  冬木辯財天  稲荷神社  稲荷神社  稲荷神社  神明社  篝山 教蓮寺  大願山行徳山  魚鳥池神社  八幡神社  木城温泉 オートバイ神社  水祖宮(金村権現社)  秋葉神社  おんたけさん敬神大教会  高龗神社  妙瀧稲荷大明神  王子稲荷大明神  大野亀の鳥居  稲荷大明神  神祇遥拝殿  松尾社(弓弦羽神社 末社)  恵庭神社遙拝所跡  内尾山 相円寺  襟裳神社旧鎮座詞跡  芸能神社(車折神社境内社)  車折神社  鉱霊神社  三峯神社  中の島神社  妙栄寺  岩戸神社  熊野神社  杉本稲荷神社  萩伏神社  水天宮  浅間神社  光風園神社  諏訪神社  荻伏神社  八剱社  日枝神社境内社①(参道左側・本殿近く)  中組稲荷大明神  稲荷神社  貞宝神社  伊久比売神社  本薫寺 大阪別院  日光院 津軽黒石藩 平内宮頭  熊野神社  蔵前愛宕神社  八坂神社  浅間社    庚申塔(府中市宮町二丁目)  一山神社(御嶽神社境内)  忠魂碑(玉鉾神社境内)  熊野神社  東大寺 中門  役行者堂  地蔵尊  庚申塚  石神社  白山神社  浅間神社  八王子神社  大聖山不動寺  普門山観音寺  宿坊 恵光院  弁財天社(白鳥神社境内社)  諏訪社  八坂社  廣八幡宮  阿波良神社・瓦稲荷神社  諏訪神社  三社神社  両替稲荷神社  乙吉稲荷神社  祐徳稲荷神社 奥の院  水神様(八坂神社境内)  十二神薬師神社  大慈山 円教寺(白谷観音)  日合神社  山ノ神(潮神明宮境内社)  事代主命(二荒山神社相殿)  地蔵堂  牛頭天王  楠木大明神  蓑島神社  水神宮  旧霊松庵  天王社・秋葉社  秋葉社・天王社 

何を投稿しますか?

神社・お寺検索

初めてご利用の方は、使い方をお読みください。
*は必須です
 
 
*
*

 
 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら
※「記録を色分け」を選ぶと、参拝や御朱印の記録が地図上で色分け表示されます。(検索に時間がかかります。ログインが必要です。)