4.0
金鑚神社
(かなさなじんじゃ)
埼玉県本庄市千代田3-2-3
みんなの御朱印
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(気ままな御朱印記録さん)
19
御朱印日:2024年5月19日 17:29
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(Mieさん)
30
御朱印日:2024年3月20日 23:10
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(匿名さん)
40
御朱印日:2023年1月26日 00:00
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(キッチュさん)
36
御朱印日:2022年12月24日 00:00
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(TAKAさん)
49
御朱印日:2021年2月14日 00:00
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(tsuさん)
44
御朱印日:2021年1月31日 00:00
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(みーちゃんさん)
27
御朱印日:2020年12月27日 00:00
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(たーこさん)
24
御朱印日:2020年2月20日 00:00
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(もみじさん)
1
御朱印日:2019年12月9日 12:00
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(マリーさん)
2
御朱印日:2019年12月4日 00:00
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みんなの参拝記録
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(馬兔猫さん)
おすすめ度:
2
82
参拝日:2018年12月23日 00:00
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(気ままな御朱印記録さん)
おすすめ度:
★★★
0
53
参拝日:2024年5月19日 17:29
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(こーちんさん)
おすすめ度:
0
37
参拝日:2024年2月17日 11:36
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(パスカルさん)
おすすめ度:
★★★★★
0
41
参拝日:2023年11月12日 09:20
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(りんごぐみさん)
おすすめ度:
★★★★
0
33
参拝日:2023年6月24日 10:19
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(TAKAさん)
おすすめ度:
0
33
参拝日:2023年5月18日 13:38
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(日刀口さん)
おすすめ度:
★★★★
0
31
参拝日:2023年3月9日 13:00
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(キッチュさん)
おすすめ度:
★★★★★
0
47
参拝日:2022年12月24日 00:00
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(トレンドさん)
おすすめ度:
0
1
参拝日:2022年7月10日 02:17
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(shikigami_hさん)
おすすめ度:
★★★★
0
52
参拝日:2022年5月22日 12:54
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県本庄市千代田3-2-3 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線本庄 徒歩15分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0495-22-3267 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
天照皇御神(あまてらすおおみかみ)
素戔嗚尊(すさのおみこと)
日本武尊 (やまとたけるのみこと) |
創建・建立 |
欽明天皇2年(西暦541年) |
旧社格 |
県社 |
由来 |
【手水舎側掲示】金鑚(カナサナ)神社
御縁起(歴史)
本庄の市街地の中心部を東西に貫く県道勝場・本条線は、かつての中山道である。
日本橋から10番目に当たる本庄宿は、中山道最大の宿場であった。
宿場の西端近くに鎮座する当社は、本庄宿の総鎮守として広く知られている。
社記によれば、当社の創建は欽明(キンメイ)天皇の2年(541)のことで、社地は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)がかつて駐軍した古跡であるという。
鎌倉時代には、武蔵七党の一つである児玉党の武士によって信仰され、とりわけこの地を在所とした本庄氏の崇敬が厚かった。
降って天正18年(1590)、徳川家康の関東入国に伴い、小笠原掃部大夫信嶺が本庄城主となったが、同氏もまた当社を厚く崇敬し同年9月に本庄城に入るや翌10月には当社の社殿に装飾を加え、武運長久を祈願している。
小笠原氏は、信嶺の猶子信之の代に下総国(現茨城県)古河城に移封され、更にその嫡男の忠貴は関宿城に移るが、忠貴は本庄城で生まれた縁故により、当社への信仰が特に深く、寛永16年(1639)に社殿の改築を行った。
天然記念物として保護されている3本の神木(楠・榧・樅)はこの時植樹されたもので、忠貴はほかに自筆の額や祈願状(市指定文化財)を奉納している。
当社は明治5年(1872)に村社になったが、由緒があり信仰圏も広い故をもって、同17年(1884)に県社に昇格した。 |
神社・お寺情報 |
神職が常駐 出張祭典可 駐車場 お祓い・ご祈祷 自動車のお祓い 神前結婚式
新編武蔵風土記稿
兒玉郡本庄宿
威德院 新義眞言宗京都仁和寺末金鑽山白蓮寺ト號ス開山玄正天正九年四月廿五日示寂開基ノ人ヲ傳ヘス本尊不動ノ外ニ阿彌陀觀音又弘法興敎ノ三大師ノ木造ヲ安置ス
金鑽明神社 宿內ノ總鎭守ニシテ神體素盞嗚尊ナリ金鑽明神ノ額ハ寬永十五年戊寅五月五日小笠原左衞門佐源忠貴ノ書ナリコノ外同十六年己卯十月十九日忠貴ノ願狀等アリ小笠原氏舊領ユヘ是等ノコトアリシナルヘシ
神樂殿 本地堂 毘沙門堂 太子堂 藥師堂 末社 住吉 阿波島 牛頭天王 金毘羅 三峯 稻荷 秋葉松尾明神 床浦明神 天神
境内掲示板
埼玉県指定文化財(有形文化財・建造物)
金鑚神社社殿
平成二十九年三月二十四日指定
金鑚神社は、中山道本庄宿の総鎮守として崇敬された神社です。本庄実忠が弘治二(一五五六)年に本庄城を築いた際に、社殿の改造と神田の寄進を行ったと伝えられており、その後、本庄氏に代わって城主となった小笠原氏も当社を厚く信仰しました。当社には、小笠原氏が古河、ついで関宿へ転封となった後の寛永ー六 (一六三九)年に、関宿城主小笠原忠真が社殿を建立した際の祈願文が残されています。
現在の金鑚神社の社殿は、本殿と拝殿を幣殿でつなぐ複合社殿で、本殿は享保九(一七二四)年、拝殿は安永七(一七七八)年、幣殿は嘉永三(一八五〇)年の建築と伝えられています。建築年代の古い本殿は一間社流造で、壁面に彩色を伴う穏やかな表現の彫刻が、空間をもたせて配置されています。建築年代の下る拝殿は、入母屋造で、力強く密度の高い極彩色の彫刻で飾られています。幣殿は両下造で、その格天井には、武正南盧や小倉紅於ら幕末期の本庄で活躍した文人たちの天井画が描かれています。
埼玉県内の近世社寺建築は、彫刻装飾を多用する点に特色がありますが、この本殿は壁面に彫刻が付く早い例で、県内における彫刻装飾の変遷を示す一つの指標として、高く評価されています。
平成三十年三月二十五日
埼玉県教育委員会 本庄市教育委員会
境内掲示板
埼玉県指定文化財(記念物・天然記念物)
金鑚神社のクスノキ
昭和四十四年三月三十一日指定
金鑚神社のクスノキは、本庄城主であった小笠原信嶺の孫の政信が、寛永一六(一六三九)年、金鑚神社の社殿を寄進した際に献木したものと伝えられています。
樹高約三〇メート ル、目通り幹周約六メートル、根回り一〇メートル、枝張りは南北三三メートル、東西三〇メートル の大きさがあり、樹齢は約三五〇年と推定されています。
生育環境が良好に維持されているため、現在も樹勢が盛んで、枝が大きく広がり、美しい樹形を保っています。
県北地方においては、暖地性のクスノキの巨樹は希少で、神社の御神木として大切に管理されています。
令和元年十二月二十日
埼玉県教育委員会
本庄市教育委員会 |
例祭日 |
例大祭 11月2日・3日 |
神紋・寺紋 |
丸に尻合わせ三つ蔦
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/03/21 19:45:51
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