みんなの御朱印
(ソーマ@東方聖地さん)
8 御朱印日:2024年10月13日 17:01 |
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(ゆうごさん)
35 御朱印日:2024年7月17日 10:26 |
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(miyaさん)
11 御朱印日:2024年5月12日 23:05 |
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(ステイさん)
65 御朱印日:2024年1月4日 12:00 |
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(マバボーさん)
46 御朱印日:2023年7月11日 00:00 |
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(mieさん)
45 御朱印日:2023年6月25日 13:28 |
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(二代目無宿さん)
52 御朱印日:2023年5月22日 00:00 |
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(カビジジイさん)
41 御朱印日:2023年4月28日 21:08 |
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(ジュンさん)
37 御朱印日:2023年4月23日 23:13 |
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(ゆなじじさん)
21 御朱印日:2023年4月12日 14:00 |
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住所 | 埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮751 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | JR八高線丹荘 徒歩59分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0495-77-4537 |
FAX番号 | 0495-77-0660 |
公式サイトURL | http://www.kanasana.jp/ |
御祭神 | 【主祭神】
天照大神 (あまてらすおおみかみ) 素戔嗚尊 (すさのおのみこと) 【配祀神】 日本武尊 (やまとたけるのみこと) |
創建・建立 | 景行天皇41年(西暦111年) |
旧社格 | 官幣中社 |
由来 | 【頒布-案内書】武蔵二ノ宮金鑚神社(カナサナジンジャ)
金鑚神社は西暦100年頃、日本武尊(ヤマトタケル)が関東に見えた際に身につけていた火をつける道具を神体山である御室ヶ嶽(ミムロガダケ)に納めたことを始まりとする。 本殿という建造物を備えずに、山そのものを神体山とする原始信仰の続く古社。 本殿がない神社は、長野県の諏訪神社・奈良県の大神神社と埼玉県の金鑚神社の3社のみである。 中世には、武蔵七党の児玉党の氏神として信仰され、九郷用水・女堀川の水神様【水もとの神】とされた。 九郷流(クゴウナガレ)と称する地域には11社の金鑚神社が祀られている。 その流域は、神川町二ノ宮から本庄市栗崎まで続いている。 往古早魃の折に金鑚の金目池(キンメイケ)から金色の龍が飛び立ち、郡内をはいまわり、本庄市北堀の東福寺(ノメリアガリノ薬師)から天に駆け上ったと伝えられる。 その龍のはいまわった場所を掘削したものが九郷用水といわれる。 近世には、九郷流の水田から稲穂が奉納され式年遷宮が行われていた。 明治維新後に郷社兼県社となり、明治18年(1885)官幣中社となった。 武蔵二ノ宮とは、武蔵国(現在の埼玉県・東京都・神奈川県の一部)の2番目の神社という意味で、一ノ宮氷川神社に次ぐ呼称である。 境内約2万坪で、国重要文化財「多宝塔」、国特別天然記念物「鏡岩」が散在し、約1時間のハイキング道「御嶽山」には、ながめの良い展望台がある。 春には桜、夏にはシャガ、秋には紅葉などが境内を彩る。 源義家の戦勝祈願伝説や弁慶穴伝説などがある。 新編武蔵風土記 兒玉郡金鑽村 金鑚神社 神體金山彦尊或ハ素戔嗚尊トモ云 二十二村ノ惣鎮守ナリ 延喜式神名帳ニ武藏國兒玉郡金佐奈神社名神大ト載ス 三代實錄ニ貞観四年六月四日武藏國正六位上金佐奈神列於官社同年八月六日授武藏國正六位上金佐奈神從五位下ト見ユ 古ハ村東今ノ見先森ノ兩社アル所ニ建シ由 今ノ社地モ松杉繁茂シタレハ轉遷モ古キコトナルヘシ 往古ノ社傳ハ元祿十一年回祿ニカヽリ烏有トナリ永祿年中ノ古鰐口ヲ別當寺ニ藏ス 銘文ニ金鑚□五宮ト彫レリ 其故ハ詳ナラス 其圖上ニ載ス 末社 白山 諏訪 天神 駒繋石 旗掛杉 義家橋 此三名何レモ社邊ニアリ 往古八幡太郎義家奥州征伐ノトキ當社ヘ参籠アリテ駒ヲ繋キ旗ヲ掛橋ヲ渡セシモノト云 今橋ハ石ニテ作リ長九尺許 別當一乘院 天台宗江戶東叡山末金鑚山大光普照寺ト號シ金鑚寺トモ呼フ 本尊十一面觀音ヲ安セリ 當寺ハ聖德太子ノ開基ニシテ慈覺大師ノ中興ナリト云 後癈セシヲ豪海ト云僧再ヒ興シテ今五十三世ニ及ヘリトイヘハ 古キ寺ナルコトハ論ナケレト 豪海ハイツノ頃ノ人ナルヤ其寂年ヲ傳ヘス 堂中ニ慈惠大師自作ノ像ヲ安ス 此像ニ附タル緣起モアリシカ是モ烏有トナリシカハ總テ往古ノ事ハ傳ヘス 永祿ノ頃鉢形ノ城主北條安房守氏邦ヨリノ寄附狀及ヒ長井豐前守政實カ寄附狀等ヲ藏セリ 其文末ニ出セリ 政實ハ甲州武田家ノ旗下ニテ鄰村渡瀨村ノ內御嶽ノ城主タリ 彼村ノ條ニ辨セリ 今寺領三十石ハ天正十九年御朱印ヲ賜フ 其後寺格モ進ミテ慶長十五年僧正官ノ宣旨又寬永貞享ノ頃東叡山ヨリノ免狀等アリ 寫シテ左ニ載ス (以下略) 寺寶琵琶二面 八幡太郞義家寄附ト云 山王社 稻荷社 秋葉社 三佛堂 彌陀釋迦藥師ヲ安セリ 藥師ハ則金鑚明神ノ本地ニテ聖德太子ノ作ナリトイフ 一切經藏 本尊藥師ヲ安ス 多寶塔 二間半四面ニテ本尊多寶釋迦ヲ安ス 此塔ハ御嶽ノ山ツヽキニ建リ 阿保全隆ノ造立ト云 阿保氏ノコトハ鄰村渡瀨村ノ條ニ辨セリ 塔ノ眞柱正面ニ天文三年午八月晦日大檀那阿保彈正全隆本願大工等ノ文字見エ其餘ハ漫滅シテ讀ヘカラス 又後背ニ寬保三亥年十一月八日金鑚山四十世學玄山亮幽ノ字見エ其他讀得ス 是再造ノ時記セシモノナリト云 其他ハ讀得 鐘樓 寬保元年再鑄ノ鐘ヲカク 塔頭蓮華院 寶珠院 |
神社・お寺情報 | 式内社(名神大社)、武蔵国二宮、別表神社(神社本庁)
○多宝塔 *国指定重要文化財 ○鏡岩 *国指定特別天然記念物 ○駒つなぎ石、旗掛杉、義家橋 *平安時代の後期、源義家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にしたと言われる遺跡 ○御嶽山(岩山)、弁慶穴、あやめ池 *当社の見処 境内掲示板 金鑚神社多宝塔 所在地 児玉郡神川村二の宮 金鑚神社の境内にあるこの多宝塔は、三間四面のこけら葺き、宝塔(円筒形の塔身)に腰屋根がつけられたニ重の塔婆である。 天文三年(一五三四)に阿保郷丹荘(あぼごうたんしょう)の豪族である阿保弾正全隆(だんじょうぜんりゅう)が寄進したもので、真柱に「天文三甲午八月晦日、大檀那安保弾正全隆」の墨書銘がある。 この塔は、建立年代の明確な本県有数の古建築であるとともに、阿保氏に係わる遺構であることも注目される。塔婆建築の少ない埼玉県としては貴重な建造物であり、国指定の重要文化財となっている。 昭和五十九年三月 神川町 |
例祭日 | 4月15日 例祭 |
神紋・寺紋 | 丸に尻合わせ三つ蔦 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2023/10/28 09:50:23 |